チロル・ドロミテハイキング旅行記34

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王宮続き

その後1402年になるとチロルはオーストリア公フリードリヒ4世(1382-1439)に相続した。

フリードリヒ4世は1420年にチロルの首都を現イタリア領のメラーノ(オーストリア名はメラン)からインスブルックに遷都。

さらにこの人はインスブルックの富裕な市民の家を2つ買い取ってくっけ、これを自分の居城にした。

そして、この城のあった場所が今の王宮のある所なんです。

ジギスムントの時代にはインスブルックの北東にあるシュヴァーツで銀山が開発され、1477年にはハル・イン・チロルという町に銀貨の鋳造所もでき。

世にいうオーストリア銀貨の誕生です。

この銀貨によって金回りがよくなったジギスムントはインスブルックの城を大幅に拡張、今の立派なホーフブルク宮殿の基礎がここで固まったのです。

ジギスムントを引きずり降ろして、代わりに自分の息子である次期皇帝のマクシミリアン(1459-1519)をチロルの領主にしたことで、チロルの議会はどうしようもなくなった、お

じさんのジギスムントにうんざりしていましたから、フリードリヒ3世の提案をあっさり支持。

こうしてジギスムントは1490年にチロルの領主の地位をマクシミリアンに譲り、インスブルックの城はハプスブルク本家のものとなり。

ちなみに、このときジギスムントはお仕置きとしてお小遣いをだいぶ減らされ、もう大宴会も遊びもできなくなったそうです。

さらにこのあと皇帝となったマクシミリアン(神聖ローマ皇帝としてはマクシミリアン1世)はインスブルックに移り、ここを神聖ローマ帝国の首都とした。

こうして東アルプスの谷底にある田舎町の城は、とうとう帝国の王宮に昇格してしまったのです。

やっぱり不自然なことの裏側にはそれなりの事情があったんですね。

なお、マクシミリアン1世の時代にはこの王宮に有名な黄金の小屋根(1500年)や武器庫(1500年~1505年)も加え。

しかもこの皇帝はインスブルックがとても好きになったそうですよ。

さらにその後も彼の弟、孫、ひ孫らの手によって宮廷付属教会、マキシミリアン1世の廟などが出来て、インスブルックの王宮はもっと立派になってゆきました。

また、現在の王宮はロココ調でウィーンのシェーンブルン宮殿とよく似た色になっていますが、これはインスブルックと黄色がお気に入りだったマリア・テレジアが1754年から1770年にかけて大改装した結果とか。

これで見た所を詳しくは終了です。

写真  1王宮   2紋章  3ベランダ