第2975回 岡山県知事 香坂昌康 先生の大礼服姿の古写真を観察する。【昭和五年陸軍特別大演習】 | 模型公園のブログ

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第2957回 岡山県知事 香坂昌康先生の大礼服姿の古写真を観察する。

 

       【昭和五年陸軍特別大演習】

 

       2023年12月23日土曜日の投稿です。

 

 

         ☆ 古写真の部屋

 

 

 

 

 

 

 

 

 昭和五年こと、1930年11月13日木曜日から、

 

当時の天皇陛下こと、裕仁殿下が岡山県に御成りになる

 

とのことで、記念の写真帳が作られました。

 

当時を偲びながら、解説文を添えて紹介して行きます。

 

 

 

 今現在は、岡山県知事は選挙の投票によって選ぶことに

 

なっていますが、戦前はそうではなくて、天皇陛下が

 

その職に任命する人物となっていたのですが、内務省の

 

官僚が、入省の年次の序列に従って、東京から官僚が

 

岡山県に来て、県知事の職を拝命し、之を行うことに

 

なっていたそうです。

 

今も、その風習は残っていて、副知事は、霞が関の官僚を

 

任命するとか、県警の本部長は、検察庁の中央のキャリア官僚

 

の席となっていたりしています。

 

 

 

 

こちらの全身写真は、昭和五年の当時の岡山県知事の

 

香坂昌康 先生の当時49才の生前の正装の大礼服姿

 

の写真です。

 

 

☆香坂 昌康 と書いて、「こうさか まさやす。」と読みます。

 

 

すらっと長身で、締まった体付きで、本田流と言う弓道の

 

範士の先生の腕前の武道家だったそうです。

 

1881年2月2日 東京府生まれ。

 

東京帝国大学卒

 

内務省 入省

 

岡山県 警察部長

 

熊本県 警察部長

 

埼玉県 内務部長

 

秋田県 内務部長

 

福島県 知事

 

愛媛県 知事

 

岡山県 知事

 

愛知県 知事

 

東京府 知事

 

を歴任され、1967年12月21日 86才で亡くなられました。

 

 

 

 

こうして経歴を見ると、昔は一人の内務省の官僚の人が、

 

いろんな県の知事のポストを次々と歴任していたのが

 

わかります。

 

 

 

 

 

 この様式の服は、大礼服と呼ばれ、主に文官が

 

着用する正装とされていました。

 

白黒写真で白く写っている色は金色でした。

 

家紋は、金色の七五の桐と呼ばれる模様が

 

用いられています。

 

黒の布地に金色の唐草模様の飾りがついていました。

 

帽子のトサカのような毛の色は、白いふさふさした

 

柔らかい毛でした。

 

勲章のつけ方も、本に定められていて、その通り

 

勲章を装着することが定められていました。

 

基本的に、天皇陛下に拝謁する時は、大礼服でと

 

当時はそうなっていたそうです。

 

今は、ネクタイを締めて背広姿ですが、昔は

 

こういう服装でした。

 

 

 

 

当時の黒色の革靴とか、文官用の儀礼刀とか、白い色の

 

手袋とか、左手に持っている帽子とか興味が尽きませんね。

 

香坂 昌康先生の正装のきれいな写真は、太平洋戦争や、

 

終戦後の混乱で失われて残っているのが少なく、戦後、

 

この写真は初公開です。

 

今日は、昭和五年こと、1930年の当時に岡山県知事で

 

あられた、香坂 昌康 先生の正装の古写真を鑑賞しました。

 

 

 

【来週に続く。】