第1158回 衆楽園を見学する。その②【岡山県津山市 津山藩別邸庭園】
2021年11月19日 金曜日の投稿です。
今日のお話は、岡山県津山市の衆楽園を見学した
お話しの2回目の投稿です。
場所や、駐車場、などの案内は、前話第1157回
衆楽園を見学する。その①の記事を参照してください。
岡山市東区の山陽マルナカ平島店から、車で1時間程度
の場所に岡山県津山市はあります。
吉井川沿いを、柵原町を抜けて行くと、比較的早く到着しました。
美咲町の国道53号線を通るより早かったです。
2回目のお話しは、左の裏門からスタートして、
東側を通って、正門に至ります。
衆楽園に来て感じたのは、小さな小川が流れていて、
上手に勾配が取ってあって他の庭園と比較して、実に
水の流れが見事です。
歩きながら、ただ、ただ、せせらぎの配置や
造りに感心して歩きました。
それから、橋の上にも、土が置いてあり、水の流れなど
すべてに興味が尽きませんでした。
見事と言うしかない、他の庭園には無い独特の水の流れ
でした。
ちょうど、お昼時でしたので、上の写真の中央少し右手の人達は、
芝生の上でお弁当を食べて楽しまれていました。
上の写真の部分も、上は土ですが、下は橋になっています。
上の写真、中央の松は、明治時代に当時の皇太子殿下であった、
大正天皇が植樹を行われた松だそうです。
明治36年10月18日 と言うと、 まだ、日露戦争の
前に植えられたようです。
休憩所も良かったし、お手洗いもきれいで清潔で良かったです。
歴史に興味のない人は、津山藩 森 長継 公を
ご存じないと思いますが、この庭を見て、わかると
思いますが名君として、元禄時代には知られていました。
津山藩が、徳川5代将軍綱吉の当時、改易となり、当時、
隠居の身の上であったのですが、備中国 西江原2万石
初代藩主として、なんとか森家を残しました。
森家は、美濃国、現在の岐阜県の出身で、織田信長の小姓
として有名な 森 蘭丸兄弟の1番下の弟の家系になります。
【 津山城 復元図 】
江戸幕府から、津山を取り上げられたのは、江戸、
中野の犬小屋普請が原因であったとか、当時の当主が
死去し、急いで、養子の手続きをしようとしたが、
握りつぶされたとか、その前の代の当主が、お家騒動で
隠居させられ、復権しようとして、裏工作し、裏目に出て、
藩が取りつぶされたとか、いろんな説があります。
現在の岡山県井原市の 西江原に減封となり、藩士は
大変な目にあっていきます。
次の藩主の森 長直公の時に、有名な赤穂浪士の播州
赤穂に転封となり、2万石で明治に至りますが、 特産の
塩を売って、10万石程度の収入があったとか言い伝えが
あります。
こういう良い場所が、入場料無料であるというのは
ありがたいことで、お時間があったらぜひ、訪問して
いただけたらと思います。
次のお話しは、津山城の もみじ祭のお話しを予定しています。
じゃあみんな また 今度ね。
【 次回に続く。】 【 転載コピー自由です。】