第775回 広島県尾道市久保町の浄土寺を訪ねる その2  | 模型公園のブログ

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第775回 広島県尾道市久保町の浄土寺を訪ねる その2 

 

 

             2021年5月16日 日曜日の投稿です。

 

 

 

 

 今日のお話は、数年前に撮影した 広島県尾道市の浄土寺の

 

国宝の建物などを訪問して見学したお話しの2回目の紹介です。

 

 場所などは、 第773回のその1の記事を参照してください。

 

 よろしくお願いします。三毛猫ハート

 

 

 

 昔、昔、南北朝時代の建武2年の5月、北朝の足利尊氏の軍勢が

 

九州で勢力を整え、瀬戸内海を東上し、南朝方の高野山 金剛峯寺の荘園、

 

大田庄の飛び地 尾道港に大挙して押しよせ、 破滅か、降伏かを迫った

 

そうです。三毛猫!!

 

 

 

 

当時の浄土寺のご住職が、大勢の中に乗り込み、和平交渉を行い、

 

尾道港は北朝方の足利尊氏の軍勢の焼き討ちを回避したそうです。三毛猫ラブラブ

 

建武2年5月2日頃、ここに足利尊氏が上陸し、浄土寺を訪問したと

 

寺の記録にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂は、記憶によると 国宝に指定されています。

 

ここに、足利尊氏は半日程度滞在し、住職や町の実力者を交えて、

 

連歌の会を催し、御家人 杉原兄弟を目付役で残し、尾道の周辺の

 

領地を杉原兄弟の所有とし、備後の國 木梨庄【 きなしのしょう】

 

と呼ぶ事になっていったのです。

 

午後、足利尊氏らは、船で 鞆【とも】港に向かったと寺の記録にあります。

 

 

 

 

 少し時が過ぎて、浄土寺は、火災で焼けてしまったそうです。

 

 正中2年に、 尾道港の実力者 道蓮夫妻 達が、町の中で寄付を集め、

 

浄土寺を再建したそうです。三毛猫ルンルン

 

 

 

 

現在の建物は、その当時の再建だそうです。

 

正中2年と言うと、 そうーー1325年なので、 

 

2021年から引き算すると、696年前になります。

 

 

   この多宝塔も 国宝に指定されています。

 

 

 

尾道市の出身の衆議院議員 元農林水産大臣 佐藤 守良先生が、

 

新尾道駅の新幹線の駅の誘致や、新尾道大橋の予算獲得に尽力され、

 

現在もその余韻で尾道市の行政がずっと動いています。

 

山梨県選出の衆議院議員 金丸 信 先生の側近で、事務総長をしていて、

 

旧運輸省に強い影響力があった先生でした。

 

 お亡くなりになって随分立ちますが、身長が160センチ程度の

 

小柄の体つきの先生でしたが地元の人々に対して、面倒見のよい先生でした。

 

本人努力家で、訪問してきた人は、顔と名前をすぐ暗記して、顔を見ると 

 

自分から呼びかけて握手を求め、お話ししていたのを記憶しています。

 

凄いと思ったのは、霞が関の各省庁の電話番号をすべて記憶していて、

 

先生に聞くと、若い頃、永野先生の秘書時代に、車を運転しながら、

 

電話番号の数字を暗記したそうで、そんな苦労話を知って親近感を

 

感じたのを覚えています。三毛猫ハート 

 

 

 

 

  今日は 数年前に撮影した、 広島県尾道市の浄土寺の

 

国宝の建物の紹介でした。

 

 

 

【 次回に続く。】 【 転載コピー自由です。】