模型公園のブログ

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第3464回 飛行船で太平洋横断視察員決定の経緯のお話。

 

 

 

       2024年8月26日 月曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2822話

 

 

 

 

 

【前話 第3450回の続きより。】

 

 

 真珠湾作戦や、ミットウェイ作戦などで、空母 赤城に

 

あって、第一航空戦隊 参謀長として作戦指導を行われて

 

いた草鹿 龍之介 海軍少将が、昭和三年こと、1928年

 

12月10日に霞ヶ浦航空隊の教官から、海軍軍令部に転勤と

 

なり、翌年の昭和四年こと、1929年8月にドイツの飛行船が

 

 

 

 

世界一周に挑戦し、日本に立ち寄って、補給と整備を受ける

 

施設を日本海軍が提供し、そのお礼として、日本からアメリカ

 

までの道中、太平洋を横断する飛行に、海軍の軍人を無料で

 

招待してくれたそうで、その視察員1名を募集したところ、

 

大勢が応募し、部隊推薦、自薦の書類がたくさん来て、決めあぐねて、

 

 

 

 

 

【末次信正 海軍中将 山口県出身 海兵27期 海大7期首席卒】

 

 

当時の海軍軍令部 次長 末次信正 海軍中将に判断を

 

求める為に、書類箱に推薦書類を山積みして、誰にするかと

 

質問すると、不機嫌そうな顔をされて、無言で数秒見つめられた

 

そうです。

 

 

「貴様、横着をしおって。」

 

 

しばらく無言で何かを考えられていたそうですが、

 

 

「草鹿、貴様、この書類の山の中から誰かを選ぶとすると、

 

大勢に、かれこれこう言う理由で選びましたと説明する

 

ことが必要となる。」

 

 

「貴様は、いったい、どんな基準を考えておるのか言え。」

 

 

と質問があり、草鹿 海軍少佐は、当時、こんなお話を

 

されたそうです。

 

 

「はっ、航空分野に明るい知識のある者で、階級は、

 

海軍少将か、海軍大佐あたりの人がよろしいかと

 

思います。」

 

 

 

 

「帰国後、速やかに海軍省に出来事を報告し、説明できる

 

階級と言いますと、少将か、大佐の階級の人が望ましいと

 

考えます。」

 

 

と、回答すると、 海軍軍令部次長の末次閣下は、

 

 

 

 

 

 

「貴様、飛行船でちゃんとアメリカに着陸出来るので

 

あろうな、大風が吹いて、太平洋に落ちたり、オーストラリア

 

に吹き飛ばされたりせんであろうな。」

 

「貴様、そのあたりの事はどうか。」

 

「アメリカからの帰りはどうなのか。」

 

 

などといろいろ質問を連発されたそうです。

 

末次閣下は、少し目をそらして考えた後に、

 

 

「よし、草鹿、貴様が飛行船に乗って太平洋を横断して

 

来い。」

 

 

「貴様は、海軍軍令部の参謀で、航空担当であること、

 

それから、海軍技術会議議員と言う役職である。」

 

「貴様なら、周囲に説明する場合にちょうどよい。」

 

 

「命令。」

 

 

と、こんな経緯で、大勢の中から、草鹿 龍之介海軍少佐が

 

飛行船による太平洋横断飛行の視察員を命じられたのだそうです。

 

 

 

 

こんな経緯で、草鹿 龍之介 海軍少佐が、ドイツの飛行船

 

に乗船して、太平洋を横断することになって行ったそうですが、

 

当時、いろんな方面から飛行船に乗せてもらいたいと言う人達が、

 

たくさん海軍軍令部にやって来ることになって困ったそうです。

 

 

 

 

 

【次回に続く。】