松山シャングリラの思い出 | 昼行灯のブログ

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~ひるあんどんのゆかいな話〜

2009年か2000年か定かではないが年末にバンドメンバーから

 

松山二番町の拓郎フアンのマスターがやってるライブバーシャングリラからの電話があった

 

「月一でここでライブしたい」と言う

 

私は反対した、毎月松山でライブやてどんだけ大変かと懸念したので…

 

結局メンバー二人の熱意に負けて年明けの二月くらいから昼行灯ライブが始まったが…

 

お客さんが来ない少ない

 

一人は必ずいる、後に悪徳バンドマネージャーと呼ぶ安藤さん

 

それからバンドのファンとなってくれた黒崎さんの二人はいつも来てくれたが店はガラガラだった

 

パンドラのキムニーとタイスケもよく来てくれた

 

お客さんは少なかったがそれなりにあの手のこの手でレパートリーも増やし練習もした

 

いつものようにライブの終わりかけて最後の曲をやってる時に中年の男女が入店して来た

 

歌い終わると彼等からリクエストをもらい二曲歌った、何やったか覚えて居ないが

 

ライブも終わり私はカウンターに呼ばれてその男性と話した

 

聞くとレディー薬局の社長だと言う

 

会社の何周年かのイベントで関係会社など呼んで奥道後で千人規模のステージでうちのバンドでやって欲しいと言う

 

「僕らより上手いバンドは他にもいますよ」「プロでも誰でも呼べるけど君らにやって欲しい」と言われた

 

そのイベントは平日で私と越智は乗る気だったがヴォーカルの白鳥は「仕事が…」と乗り気じゃない

 

半信半疑だったが「来月社員をよこしますから」と何某のお金を置いてもらったらしくマスターは皆さん飲んで下さいと言った

 

そして翌月のライブ来た来た上司らしき人以下若い社員たち6,7人

 

ほんとやったんや

 

部長だったか「お願いします、平日ですが時間は買わせてもらいますから」と名刺をもらった

 

後日メンバーと相談してお返事しますと答えた

 

やはり白鳥は仕事が…というので丁重にお断りした、仕事休めとは言えないし

 

彼は大きなイベントだったのでびびっていたのかなと後に思った

 

なんかめちゃ勿体無い事したなーと今も思う

 

 

そんなシャングリラの思い出