「日本書紀」では、推古天皇21年(613年)、聖徳太子が道のほとりで飢えた人を見つけ、飲み物と食べ物、それに衣服を与えて助けましたが、その人は亡くなりました。悲しんだ聖徳太子は墓をつくり厚く葬りましたが、数日後に墓を確認してみると、埋葬したはずの遺体が消えてなくなっていました。この飢えていた人が、のちの達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨寺は生まれました。

 

↓山門。

 

↓問答石:推古21年(613年)に聖徳太子と飢えた貧者に身をやつした達磨大師が出会って歌を詠み交わした場所です。本堂に向かって左側にあります。

 

↓本堂:本堂の下に達磨寺3号墳とよばれる古墳時代後期の円墳があります。これが聖徳太子が飢人のためにつくったお墓、すなわち達磨大師の墓とされ、鎌倉時代にその上にお堂が建てられ、現在のお堂は平成16年に再建落慶したものです。

 

↓達磨寺のご本尊は千手観音、聖徳太子、達磨大師で、それぞれの像が本堂に祀られています。聖徳太子坐像は中子冠を被り、笏を手にしています。建治3年(1277年)に造られたもので重要文化財に指定されています。

 

↓達磨大師像(重要文化財)は手も足もあります。訪問したときは博物館にご出張中で写せず、達磨寺のホームページからお借りしました。


 

↓千手観音像:現状で手が392あります。すべての掌に玉眼による目があります。(王子町指定文化財)



↓雪丸塚:聖徳太子の愛犬で人の言葉が理解できたという「雪丸」の塚です。