浪速の町に春の訪れを告げる三月場所は別名「荒れる大阪場所」とも称される。そもそもこの場所が「荒れる~」と呼ばれるようになったのはなぜなのだろう?それは大阪で三月場所が開かれるようになった昭和28年までさかのぼる。
当時の横綱陣は羽黒山、千代ノ山(のち千代の山)、東富士、鏡里というオールドファンにはたまらない豪華な顔ぶれだったが、最古参の羽黒山が初日から休場したため3横綱の出場となった。初日こそ3横綱安泰だったが、2日目から土俵は荒れに荒れた。2日目は何と横綱全員に土がつき、3日目には千代ノ山、東富士が土俵に沈み、4日目は千代ノ山、鏡里が揃って黒星となった。4日目にして横綱の星が、東富士、鏡里が2勝2敗、千代ノ山に至っては1勝3敗という散々たる成績。
この信じられない展開に浪速の相撲ファンはあきれるやら喜ぶやら、たちまち「荒れる大阪場所」の異名が定着したのだった。
<goo大相撲 大相撲情報局より>
そんな歴史があったんですね・・・
現代でそんな事があったら、責任論に発展しますよね~
ネットでは大騒ぎでしょう