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先月発売されたオアシスの新作、僕は金欠のため未聴なのですが、ブログやアマゾンのレビューを読むとやはり普通に賛否両論。熱く絶賛する人あれば、静かに批判する人あり。

そもそも2000年代のオアシスは新作発表の報が入る度に「今度はファースト、セカンドを超えるか?」という切り口だけで語られ、実際に音がリスナーに届くと落胆の声を浴びせられる、ということの繰り返しだった。僕はリアルタイムでは知らないけれど、それだけその2枚が与えた熱狂は凄まじかったのだろう。

そんなオアシスの新作に関する文章を読み漁っている内にある印象的な文章に出会った。その文章は「音楽シーンにおけるオアシスの役目はファーストとセカンドで終わっているのだから、新作が発表される度に一喜一憂するのはもうやめないか? 僕らはもう十分素晴らしい楽曲を聴かせてもらったじゃないか」というような内容のもので、オアシスのファンというよりも音楽ファンの視点で書かれた文章という感じだった。

それを読んで頭に浮かんだのがブルーハーツだ。彼らもまたファーストからサードまでの作品ばかりが特筆して語られる。もちろんそれ以降の作品も素晴らしい作品ばかりなのだけど、音楽シーン的に対して効果とか影響があったのは3枚目くらいまでみたい。紙ジャケで再発されたのも初期3枚だけだし(レコード会社の関係もあるけど)。

関係ないが、キングジョーと改造パンドンのカッコよさはウルトラ怪獣の中でもズバ抜けていると思う。他にはテレスドン、マグラ、ゴモラ、パゴス、恐竜戦車あたりが好きです。超獣とグレートモンスターは別格。『ドグラ・マグラ』が上下巻で100円だったので即購入。ざまあみろ。
自分と立場の違う人間からも何かを学び、受け入れること。自分の積み上げてきたものを過信せず、驕らないこと。

過信、傲慢、油断、怠惰…どれも人間にとって恐るべきものだ(自分の最大の敵が自分であることを認識している人に限る)。そしてそれは行動や人格としてにじみ出てくる。

バイトがヒマだったので、今度パパになる吉田氏と今回の一件について話していた。その中で、多額の借金があったにも関わらず高級マンションに住み続け、生活水準を下げられなかったのは何故なんだろうという話になった。彼は、結局プライドを捨てられなかったのだろうと言った。プライドを捨てるっていうのはどういうことですか? と訊くと、氏曰く、それは自分と立場の違う人間からも何かを学び、受け入れられることなんじゃないかな、と。

あれだけの才能があったのに何故こんなことになったのか。globeにコアなファンというものはいるのか。彼らがまとっていたものはMr.Childrenやサザンオールスターズのような普遍的なものではなく、あくまでその時の流行であって、ずっと残り続けるものではなかった。ではTKサウンドに懐メロとしての価値は?

そんなことを喋っていたら店長が出勤してきたので仕事してるフリ仕事してるフリ。globeのセカンドアルバム『FACES PLACES』は僕の中に永遠に刻まれる名盤です。
ブラボゥ。映画の素晴らしさを再認識させてくれる作品。映画全体のおバカっぷりもさることながら、あのラストシーンには映画の(人生の)素晴らしさが凝縮されている。思えばいつだってそうだった。『マスク』も『フォレスト・ガンプ』も『スター・ウォーズ』も、素晴らしい映画とは人生の素晴らしさを教えてくれるものなのだ。

比べるようでアレだが、先日観た『パコと魔法の絵本』は映画への冒涜と言っても過言ではなかった(中盤以降泣きっぱなしだったけどね)。

くだらなくて、でも素晴らしい。自分がつくりたいものの理想形かもしれない。