転機させて頂きました

又々既に皆さん読まれたかと思いますが、自分も「愛と青春の旅立ち」を観て感激した事を思い出しながらコチラを読ませて頂き、更に感激し、是非拡散させて頂きたく、転機させて頂きました!!

実に日本人は誇らしい!!
その日本人として生を受け、今更ではあるが、歪んだ歴史を信じて学んだ黒歴史を恥、改めて、こうして皆さんから正しい真実の歴史を教えて頂き、感謝致します
お陰で我が子達や大切な人達にも伝えられ、何も知らずに人生を終えていたら、ご先祖さまに申し訳が立たず、恐らく死ぬに死ねず、成仏せずに彷徨う事に・・・等と考えるとゾッと致します

時節柄、御盆や終戦記念日が近付いて来ますので、更に正しい真実の歴史を教えて頂き、日本国の為に尽力された総ての御霊に感謝申し上げます


「愛と青春の旅だち」といえば、34年前1982年に公開されたリチャード・ギア主演の大ヒット映画で、昔ご覧になられた方も多いかと思います。
海軍士官学校の新入生と、町工場の娘とのロマンスを描いた青春映画で、日本でも大ヒットしました。
さらにこの映画の物語は、2010年に宝塚歌劇団星組が上演するなど、その後も強い影響力を持った映画として知られています。

映画はもちろんフィクションですが、実は、日本には、これによく似た真実の物語があります。こちらは本当にあったことです。
江戸時代中期の蘭学者である松崎慊堂(こうどう)の若い頃のお話です。
松崎慊堂は、渡辺崋山や高野長英などを育てた人物でもあります。

ちなみに渡辺崋山は、天保10(1839)年の蛮社の獄のときに逮捕されていますが、このとき師匠の松崎慊堂が老中水野忠邦に建白書を出し、そのおかげで彼は死罪を免れています。
渡辺崋山にとって松崎慊堂は、師匠であるとともに、命の恩人でもあったわけです。

松崎慊堂は熊本の農家の出身です。
幼名を松五郎といい、家が貧しかったので、幼いころはお寺に預けられて育ちました。
勉強好きな子で、学問で身を立てようと13歳で江戸に留学に出ています。

江戸では浅草の寺の住職にお世話になり、寛政2(1790)年には設立されたばかりの江戸湯島の昌平坂学問所(いまの東大)に入っています。
さらに江戸一番の儒学者であった林述斎のもとでも学び、寛政6年には林塾で塾生のトップである塾生領袖になっています。
要するに、たいへんな秀才で、しかも人格も良好な若者であったわけです

その松五郎が林塾の領袖時代のことです。
松五郎が考え事をしながら歩いていると、町のならず者たちにドスンとぶつかってしまいました。
そして、彼らが手にしていた酒徳利を割ってしまいます。

「ごめんなさい」と松五郎がいくら謝っても、許してくれません。
それどころか、酔ったならず者たちは、「酒代を出せ!」と大金を迫ってきました。
ところが松五郎は、書生の身ですから貧乏で、
「そんな大金、ありません」としきりに謝るのだけれど、ならず者たちは、ますます激昂して脅しをかけてきます。

この様子を、すぐ近くで旅籠の飯盛り女をしていた「おすみ」という女性がみとがめました。
そしてならず者たちに近づくと、
「あんたたち、よってたかって何やってんのさ」と間に割って入ります。

そして彼らが要求した額を、おすみはその場で全額立て替えて支払いました。
松五郎は恐縮して、
「必ずお金は返します。しかしいまはお金がないから、分割にしてください」とおすみに申し出ました。

ところが話を聞けば、月二分の生活費でやりくりしているといいます。
いまでいったら月三万円です。
着ているものもみすぼらしい。
その少ない生活費から払うというのだから、おすみは同情して、
「分かりました。では、月二分を私があなたに払ってあげましょう」と約束してくれました。

それからのこと、毎月毎月、おすみから松五郎のもとにお金が届けられました。
頂いているうえに、届けてもらうのは申し訳ないからと、途中からは松五郎が自分でもらいに行きました。

月日がたったある月のこと。
今月に限って松五郎が現れません。
松五郎の住む長屋に行っても不在です。
それっきり松五郎から音沙汰がなくなりました。

おすみは、周りの女性たちから、
「バカねえ。あんた、騙されたのよ」と言われます。
松五郎は日本を代表する私塾の塾生です。
おすみは宿場の飯盛り女です。
飯盛り女というのは要するに売春婦です。
あまりにも身分が違うのです。

さらに何カ月かたちました。
ある日のこと、おすみの住む宿屋に、立派な身なりをしたお侍さんが駕籠に乗ってやって来ました。
そして、宿屋の主人に、
「おすみさんはいますが」とたずねました。

呼ばれて奥から出てきたおすみは驚きました。
あのみすぼらしかった松五郎が、見違えるような立派な姿で、そこに立っていたのです。

松五郎は、懐から六両のお金を出しました。
「いままでお世話になりました。
 これはお借りしたお金です」
そう言って、おすみにお金を渡しました。
「ようやく塾を卒業し、
 掛川藩に教授として召し抱えになりました。
 これから掛川に向かいます。
 いままで本当にお世話になりました。
 ありがとうございました」

そしておすみに、こう言いました。
「あなたさえよければ、
 私の妻になってください」

二人はめでたく祝言をあげました。
そしておすみは、渡辺華山や高野長英など、江戸後期のなだたる論客や学者達から母のように慕われ、この世を去りました。

繰り返しになりますが、おすみは、ちょっとかわいそうな言い方になりますが、売春婦です。
一方、そのおすみに結婚を申し込んだときの松五郎は、掛川藩にお抱え学者として仕官したばかりです。
もし日本が、どこかの国がしきりに世界中で宣伝してまわっているように、売春婦を卑しい職業と考えるなら、松五郎がおすみを妻にすることはありえないし、またそのような出自の女性を妻にする松五郎を掛川藩が許すはずもありません。

なぜなら松五郎の採用は、掛川藩にとっては、藩の大事な若侍たちの教育のためなのです。
当時の日本に、卑しい職業の女性を蔑視する風潮がほんのわずかでもあったなら、松五郎は大事な藩の若侍たちに教育を与える教授としてふさわしくないとして、藩から解雇されているはずです。
ところが、掛川藩は、松五郎の妻のことを全く問題にしていません。
むしろ、藩の重要な任務となった朝鮮通信使の通訳兼交渉役に松五郎を抜擢しています。

これがなぜかというと、そもそも日本には、身分差別という概念がなかったのです。
もちろん職業区分はあります。
上司と部下の関係もあります。
けれど、それらはすべて、世の中の役割分担であって、人の価値を決めるものではない、というのが古来からある日本人の思考です。

なぜなら、日本人はすべて、天子様のおおみたからです。
すべての人がおおみたからであるということは、すべての人は、おおみたからとして対等です。
そしてその中で、世の中を上手にまわすための分担があるのです。

また、日本人は魂観を持ちます。
肉体は仮の宿。人の本体は魂であるというのが、日本的思考です。
ですから、たとえこの身はやつしても、己の魂だけは汚さない。
それだからこそ、誰もみていなくても、しっかりと生きる。悪さはしない。
それが日本的思考です。

売春婦かどうかは、肉体の話です。
魂にとっては、仮の宿です。
生きていれば、いろいろな行きがかり上、さまざまなことが起きて当然ですし、身が堕ちるときもあります。
けれど、それでも、魂を磨きつづける。
それが日本人です。

だからこそおすみは、店の前でヤクザ者になぶられている松五郎を助けました。
おもしろいのは、このとき、ヤクザ者たちがおすみの気迫に打ち負かされていることです。
相手は激高した複数の男たちです。
おすみは、女ひとりです。
そのおすみが、ヤクザ者を向こうに回して、堂々とわたりあっています。
職業の問題ではない。
魂の品格の問題なのです。

もうひとつのポイントは、おすみが宿屋の売春婦でありながら、松五郎に仕送りしたり、ごろつきにからまれてカツアゲされたときに、その代金を代払いしている点です。

よく、戦後の時代劇などでは、売春婦たちは、子供の頃に女衒によって連れて来られ、年季があけるまで、売春宿の主人に借金漬けにして働かされたという設定がなされています。
要するに、これが「嘘だ」ということです。

女衒に買われてきたのは事実です。
仕事ですから、女達にも厳しい側面だって、もちろんあったことでしょう。
けれど、経済的には、彼女達は実に豊かでした。

だいたい当時の売春婦というのは、数え年15歳(いまの16歳)から、最大25歳くらいまでしか働かせてもらえませんでした。
彼女たちは、おおむね数え年5歳(いまの6歳)で買われてきます。
そしてまる10年、みっちりと芸事や読み書きソロバンを教えこまれ、15歳で店に出ます。
そしておおむね18〜20歳くらいまでに、お店からの借金は全額返済を済ませ、その後25歳くらいまで、貯蓄に励みます。
そしてお店を卒業すると、以降は貯めたお金で、自分で小さなお店を開いたり、田舎に帰って小唄や三味線、和裁などの師匠になったりして暮らしました。
売春婦たちには、それくらいの稼ぎと経済的余裕が、実は「あった」し、それが日本の風俗の伝統でもあったのです。
ちなみに中には大店の店主の妻となったり、大身の武家の妻になったりした女性も数多くいます。
そしてこういうことは、身分絶対の社会では、絶対に起きないことです。

ひとつ余計なことを書くと、松五郎は徳利を割ったといって6両という大金をヤクザ者に恐喝されていますが、6両といえば、いまの相場なら、だいたい40万円くらいです。
たかが徳利1本で40万円とはすさまじいですが、実は、昨今の恐喝バーと呼ばれる、酔っぱらいを連れ込んで法外な値段をふっかける商売の際の請求額も、40万円が相場なのだそうです。
その場でカツアゲできる金額が、だいたい5千円で、歩留まりが3万円。
後日集金に行って脅し取るときの相場が40万円なのだそうです。
江戸の昔も、平成のいまも、暗黒市場の相場は何もかわっていないのですね。

さて昨今、韓国が、日本軍によって朝鮮人女性達が拉致され、性奴隷にされた、などと言っていますが、そうした日本人の風俗感からしたら、まるで「?」です。
そもそも、女性を集めてきたのは、韓国人の女衒たちだし、売春宿を軍の駐屯地の脇につくるものだから、やむを得ず、軍費を使って、女性たちの健康診断までやってあげていたのです。

そもそも日本人の感覚では、売春婦もただの職業女性であり、いかなる職業であれ、職業に貴賤はなしと考えるのが日本人です。
そしてそれ以上に、いかなる職にあっても、人としての矜持を失わず、お天道様が見ていると信じて立派に生きて行くことこそ大事というのが、日本人の普通の感覚だからです。

ですからもし、韓国の韓国人売春婦たちが、日本人からお金を払ってのセックス以外に相手にしてもらえなかったのだとしたら、それはその売春婦達が、人として女性として、尊敬に値する何ものも持っていなかったということです。

ちなみに松崎慊堂(まつざきこうどう)は、酒の席での失敗談は数多く残っていますが、女性問題は、生涯に一度もなかったといわれています。
たとえ売春婦といえども、人として尊敬できるに値する人かどうか。
日本人は職業で人を見るのではなく、人の魂を大事にしてきたのです。