当時時短パートの主婦でした


これが実家があれば

もっと早く離婚していたと思います


が私の場合

母が再婚していたので戻れる場所がなくて

家を借りる事も私の収入では無理でした


当時は

子供が二十歳になったら離婚しようと思っていました



モラハラの相談センターへ行き

他の方の話を聞く機会もありました


その時にかなり年配の女性が

被害を訴えているが、家族が誰もそれを信じてくれないと言っていて


私は、この年配の女性を自分の未来の姿のように思えて


離婚は絶対に実行しようと

また心に決めました



ある日

相談センターで

センターの方に

「お母さんにはお母さんの人生があるんですよ? 子供さんには子供さんの人生がある」と言われました


私が余りにも子供がいるので

まだ離婚は難しい、厳しいと言っていたからです



女は結婚したら

夫の為にと動き、子供が生まれたら

子供の為にと動く


家族の為にと生きる


それを長年してきたので

私の人生といきなり言われても

自分の人生など考えたこともなくて


そのくらい母親は子供と一心同体になっているんですよね


その時のセンターの人の言葉に

気付かされました


私の人生というものを生きてもいいのだと


そこには

子供を犠牲する事もでてきてしまう


親の離婚という親のエゴでもある


子供にとっては辛いし、悲しい事も多い


でも時に

死にたくなる程の辛い日々を私がこの先

何十年と過ごす事を思うと

やはり無理なのだと思いました




元夫の言葉は、日に日に酷くなりました


私や子供にも死ねと言う


子供の事を足蹴りして

注意をすると

「俺が本気でやれば吹っ飛ぶ

本気でなんかしていない」と暴言を吐く


生活費もどんどん使われる


賞与があっても何も貯金はできず

子供手当も元夫が使い込む


私が月に一度

友達と会うことも許されず

私は仕事へ行くと言い出掛ける


千円のものを私が買ったりすると

元夫は、「お前が千円なら俺は一万円のものを買う、稼ぎが違うからな」と言う


ともかく

もう手が付けられない状態てした




かなり早い時期に義母に相談すると

「性格が悪いと知ってて結婚したんでしょう?」と言われました


親や兄弟も

「この子はどうしようもない」

「こいつは、どうにもならない」


そういう扱いの男でした


会社の顔とは真逆の姿

本当に、こんな事があるんだと思います



モラハラの被害者が避難できるシェルターの話を相談センターに聞きに行くと


「入れます、入れますが半年間は誰とも連絡は取れません」

「どこへ行くとも事前には教えられません

子供達も学校へしばらく通えなくなります」

と言われました



子供は

当時中学生と高校生になっていました


子供の事を考えると無理だと諦めました



#モラハラ #離婚 #相談センター