まあ・・27年前・・?・・
ソ連のコンスタンチン君は3歳・・
何と‥大やけどをおってしまわれたとか・・
身体の90パーセントにもわたるやけどで・・
ソ連では・・手の施しようがなく・・
あと70時間くらいで亡くなるだろう・・とのこと・・
そんな中・・
日本に電話がはいり・・助かる手立てはないかと・・・・
国交のなかった‥日本とソ連・・
選ばれた人たちは・・緊張の中・・ソ連に向かい・・
いち早く対応することになったみたい・・
コンスタンチン君を預かり・・飛行機の中へ・・
そして・・お父さんも連れて・・日本に向かう・・・
飛行機の中から・・治療は始まり・・
日本へ辿り着き・・皮膚の移植を試みようとする・・
しかし・・
なかなか・・提供する人も無く・・
父親が‥希望するが・・医者は‥息子さんを励ます役目を・・と・・
皮膚の量も多いので・・亡くなった人の皮膚を・・
親の承認のもと・・提供してもらうことに・・
漸く‥提供者は見つかり・・移植・・
1週間後・・見事に・・成功していたと・・・
いやあ・・・良かったね・・・
本人は勿論・・
病院の皆様も・・親御さんも・・この上なく嬉しかったろう・・
当時のコンスタンチン君は‥
とても元気で・・やんちゃでもあったらしい・・笑
やはり・・生命力の強さを・・物語るね・・
あれから‥30年・・
爽やかな笑顔で登場した・・コンスタンチン君は・・
当時の映像を見ながら‥涙・・
お母さんは・・
日本との懸け橋になれるような仕事に就いてほしい・・と・・
国交はなくとも・・大事なところでは・・
こうして・・助け合っていた事実を・・
プーチンさんも・・思い出してほしいね・・・・