3月19日、地元新聞のお悔やみ欄に同級生の名があった…。

享年66歳。 

記載事項には(葬儀は終了しました)とあり、死亡日は13日とあった。

 

コロナ禍で手術後の入院中にお見舞いにも行けず、その間に何度も入退院を繰り返し、彼女は何度も何度も辛い抗がん剤治療に堪えきた。

手術後に腸閉塞を併発していることが分かり、消化の良い物しか食べることが出来なくなり、食も細くなり、かなり体重も減少していった。

免疫力も低下し、一昨年末には帯状疱疹に罹り、その後遺症の痛みにも堪えることになった。

 

それでも彼女は私に明るく接してくれていた。

辛いはずの彼女なのに、家族のことでずっと苦しんでいる私の胸の内を聞いてくれた。

 少しは体調も落ち着き、いつしか環水公園のスタバが私たちの待ち合わせ場所となり、3年前からは富山市の磯部堤へ行き、お喋りしながら桜を観てまわるようになっていた。

そして、今年も一緒にと願っていた。

 

2月中旬に彼女の家でほんの僅かな時間だけでも良いから会いたかったのだけれど、約束の前日に再び入院することになり、ならば病院へお見舞いに行きたいと言ったのだが、彼女から「元気になったら、また家に遊びに来て」とLINEで送られてきたので、私は我慢した。

でも、それが最後のLINEとなってしまった…。

 

何故か今度ばかりは、私も嫌な予感がしていたから、何としても会いたかったのだけれど、叶わなかった。

彼女には私と違って多くの友人がいたはずだ。

そしてまだ66歳。

だから、家族の方には家族葬ではなく、一般の葬儀で知らせてほしかった。

私のわがままだと分かってはいるが、お別れも言えていない。

私は新聞で知るまで、神様に彼女が回復しますようにとずっと祈っていた。

お別れの言葉をかけてあげることも出来ず、お見送りも出来ず、未だに悲しく、寂しくてしょうがない。

私は心の置きどころ失くしてしまった…。

 

彼女ともう一人の友人と花見をした2年前の磯部堤の満開の桜を載せておく。

 

『ありがとう… 私の友だちでいてくれて…』