認識は努力して得るもの。

例えば、学校に入学したから学生の高い認識を得るわけではありません。

もしも、勉強の価値を理解していないならその人にとって退屈な場でしかありません。

学習できない自身を懺悔することはまずありません。

そして、学校はつまらないと不平を述べるわけです。

学習に真摯に向き合ってきた人は、そのような不平は言う気にならないことを知っています。

よく元〇〇だった人が全て真実であるかのように経験を語るかもしれません。

あたかも客観視しているかのように語りますが。

その内容は認識を得られなかった自分を正当化して、他の人を見下す感情が見え隠れします。

つまり、恨みです。


どんな道を歩むにしても、本物になると人を見下すことはしないものです。

仮に、ふさわしい認識が持てずにやめてしまう場合、中途半端な自分自身を恥ずかしく思います。


ですから、あたかも全てのことを知っているかのような発言は、正確さには欠けるものと受け取って間違いではないと感じます。

全ての人は何を選ぶかの権利を有している事実。

自分で捨てる以外は誰も奪えないものです。

責任転嫁を口にする人は、それを認識していません。