高校留学で気をつけてほしいこと。挑戦を認めない仕組み。 | フヒクカピマミ

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高校一年では発展途上国を助けられるような人になりたいと思い、フィジー共和国へと留学、そこで考えにいろいろと疑問を感じるようになり帰国をすることにしました。
今は日本でごちゃごちゃといろいろ考えながら平凡に高校生活を送っています。 

よくブログのネタにするのですが、私は中学三年生の3学期を吹っ飛ばしてフィジーの高校に留学していました。

 

当時は本気で人を助けられるようになりたいと思っていましたし、自分は世界のヒーローになれるくらいの自信を本気で持っていました真顔

 

 

そこで実際現地に行ってみて、人を助けるってどんなことなのかを知り、色々と考えるようになって帰国を決めたのですが、、

 

日本に帰国しても

 

 

公立高校は個人留学をしていた生徒を編入させてくれません。

 

 

親の仕事の影響での留学ならいいらしいです。

地域によっても違いはあると思うのですが、横浜市ではそうでした。

 

自分で言うのもナルシストみたいで嫌なのですが、中学では最難関の公立高校にも行けるほどの内申点を取っていましたし、模試でもその高校に受かるほどの学力はありました。そしてフィジーでも確かに国によって学力の差はあるとは思いますが、学年一位を何個も取っていました。

 

それを証明することだってできるのに、「個人留学」というだけで、編入させてはくれません。

フィジーで日本での範囲の勉強もしていたので、学年を落としてそれをまたやるのが自分の時間を繰り返して浪費してしまうみたいな気がして嫌だったのですが、それもダメなものはだめです、と。

 

 

結果として私は自分に合った最高の私立の高校に今いることができてるのでいいんですが、、

 

 

国際化だとか、英語が話せることに重心を置くような考え方が多い割に、理不尽じゃないですか?

自立性だとかを美化する割に、挑戦することを阻止ているのはどちらでしょうか??

 

 

 

「自分が編入できなかったことに文句言ってるだけでしょ」と私の意見をとらえるなら、確かに私はそれに関してイライラしているところもあるとは思います。

「事前に調べなかったアンタが悪い」と思う人もいるかもしれません。その通りだとおもいます。でもこの条件、普通におかしくないですか?、学力の低い人を入れたくないのなら、せめて私の学力をテストするくらいしてくれてもいいじゃないですか。

 

私は「行ける高校がなかったからフィジーへ逃げた」んじゃなくて、「発展途上国なんて呼ばれている国がいったいどんなものなのか」、「世界に飛び出してみたい」と思って、留学をしました。

そこで学べたことは数えきれないですし、決して後悔はしていません。それにそれがなかったらこの矛盾に気が付くこともなかったのだと思うと、私に新しい意見を一つ増やしてくれたので別にそんなに恨んだりはしていません。

 

 

だからもし私と同じように個人留学を考えている人は、各地域の条件をよく調べてみてください。

私のクラスメイトのカナダに三年間中学を個人留学していた子も、この条件のせいで公立高校に入れなかったそうです。

(東京都でも同じ条件のようです。)

 

 

まぁ私を受け入れられなかったことを後悔させてやるくらいのつもりで勉強しているので、私にとっていい勉強の燃料みたいなものですがウインク

 

 

 

挑戦をしやすい社会になるといいなぁ。。。