第  四  章
 それから私は、早川満と同様に『山』が気になり始め、眠れない夜が続いた。
『山』・・・『山』・・・。『蝶』、『木』、『生命』・・・。『真理の認識』・・・『ふくろう』・・・『山』。

「あ。祐介。真里子だけど。あしたの夜よね。」
電話の音でふっと我にかえった。
「え。なにが?」
「あなた、忘れたんじゃないでしょうね。早川さんとの約束。」
「ああ・・・。明日だっけ。」
「そうよ。八時にイル・バローロ。」
「あなた、どうかしたの? 何か元気が無いみたい。」
「別に・・・。大丈夫。」
「ね、あれから早川さんに会った?」
「ああ・・・。実は一緒に石黒一郎の所に行ったんだ。」
「そう。それからは?」
「会ってない。どうして?」
「彼、消えちゃったのよ。」
「そう・・・。」
「私、心配になって、身内のものなのですが、至急話したいって事務所の女の子をつついたら、事務所も何処に行ったわからなくて困ってるらしいのよ。」
「ああ・・・。」
「祐介。あなた心配じゃないの? あの人が仕事を投げ出して休むなんて普通じゃないと思わない?」
「・・・・・。とにかく、明日会おう。それより真里子、お前、昨日京都から帰ったって、早川さんに頼まれた事ちゃんとやったのか?」
「ふふふ。もちろん。京都に行く前にデータバンクに勤めている知り合いに頼んでおいたの。彼の会社ってコンピューターの中に雑誌・新聞の記事がデータベースとして入っていて『山』っていうキーワードで山に関する記事が簡単に出力できちゃうの。」
「そうか。とにかく僕もそれ見るのは楽しみだ。それじゃ、明日。」


イル・バローロは、いつもの様に賑わっていた。
「祐介。また遅れた。・・・はい、これ京都のお土産。」
「ありがとう。」
「早川さんと話せた?」
「いや。」
「今夜来るかしら? 早川さん。」
「多分。・・・来るよ。」
「祐介、石黒一郎どうだった? 何かヒントになるお話、伺えた? 変わった人でしょ。彼って。」
「うん。・・・でも、すごく魅力的な人物だよ。彼はただの登山家ではないような気がしたけど。」
「だって、ただの登山家じゃないもん。」
「えっ。ただの登山家じゃないって、何者なんだよ、石黒一郎って。」
「あなた知らなかった? 彼は、昔いろいろな博士号を持つ学者だったのよ。生物学、考古学、物理学、天文学、人類学、医学。日本ではあまり知られていないけど、ヨーロッパでは、かなり注目されていた学者だったそうよ。」
「・・・でも何故登山家に?」
「私も、この前うちの雑誌の特集の取材の時、同じ事を聞いたんだけど、ちゃんと答えてくれないの。ただ何かいろいろな分野の事を深く研究していたら、どうしても今の学問や理論じゃ納得できない壁にぶつかって、それで学者辞めて山に登るようになったらしいのよ。」
「・・・。」
「ところで祐介こそ、ちゃんと企画書集められたの?」
「ああ・・・。何とか。」
「あっ、早川さんだ。早川さん、こっちです。」
「おお、二人ともお揃いか。」
「早川さん、どちらに行っていらしたんですか? 仕事ほっぽり出して。私、何度も事務所に電話したんですよ。心配してたんですから。」
「ああ。ちょっと、アメリカに行ってた。」
「アメリカですって。」
「ああ、アメリカ。ナイアガラの滝を見に行っていたんだ。」
「ナイアガラの滝?」
「また、何ですか?」
「いや、ちょっと。」
「おお、祐介。元気か。」
「なんとか。」
「おい、祐介。俺は確信したよ。」
「え。何を確信したんですか?」
「俺の前世はインディアンだ。」
「はぁ? 前世って、あの輪廻転生の事ですか? 人は常に生まれ変わるっていう、あの前世ですか? 早川さん。」
「そう。俺の前世はインディアンだ。」
「早川さんらしくないですね。宗教ですか?」
「いや。違う。俺はもともと、宗教なんか信用してない。だいたい俺は自分が神だと思ってる位だから。」
「じゃ、何でまた、前世とか・・・。」
「なあ、祐介、俺は石黒一郎の話を聞いて、いろいろ考えてみた。そして、俺は前から、何となく昔、インディアンじゃなかったかって、ひそかに思っていた。それを確かめようと思って、アメリカに行ってみたんだ。そして、ナイアガラの滝を見てて、俺は確信した。やっぱり俺は昔インディアンだったんだって・・・。」
「だから『山』が気になりだしたって言うんですか?」
「いいや、そういうことじゃない。」
「ただ、俺は昔、インディアンだったんだって・・・。そう感じた。ただそれだけの事だよ。」
「・・・・・。」
「それは、そうと、祐介。企画書は集まったのか?」
「ええ。凄く大変でしたよ。何だかんだって言って何とか五十程集めましたけど、ここで読んだら戻して下さい。」
「わかった。」
早川は、数分ですべての企画書に目を通し、深い溜め息をついた。
「祐介。お前の会社さ、よくこれで仕事取ってるよな。こんな企画書出してるのかよ。お前がその歳で部長になれるのも解るような気がするよ。」
「何もヒントにならなかったですか?」
「ダメだ。何も引っ掛かる所はない。」
「真里子、お前の方は、何か集まったか?」
「ええ。知り合いの人にコンピューターから最近の『山』に関する新聞・雑誌の記事を出力してもらって・・・。これです。」
「ほぉ。凄い数だな。」
「ええ。これが、タイトルだけの一覧表です。こちらを見た方が早いと思います。」
「なるほど。」
早川満は、三十分程ページを次々にめくり、何かを探し出そうとしていた。
「どうです? 早川さん。」
「うん。特にこれといった記事は無いな。全然ピンとこないよ。」
三人は、もう一度企画書と真里子の集めてきた記事を読み直した。一体私達は、何をしようとしているのだろうか・・・。私は平常ではない自分に不安を覚えていた。
「あっ、そうそう。もう一つ記事があったんだ。」
真里子が突然そう言い出し、プラダのバッグから、新聞を取り出した。
「これ、昨日の京都新聞なんですけど。変な記事が出てたんです。えーと、これです。」
真里子は新聞を捲りながら、ベージュのマニキュアが丁寧に塗られている細い指先で、その記事を指した。
「京都の雨水町の創玄山は、人工の山?―創玄山は人工的に創られた山ではないのかという地元の地質学者の依頼を受け、東京大学の考古学者が調査団を編成・派遣された。―」
「人工の山・・・。まるでピラミッドね。」
真里子は新聞の記事を読み終えると最後にそう言った。すると早川は突然顔を上げ、私を見つめて呟くように言った。
「ピラミッド・・・。そうか・・・。祐介。そうだ。ピラミッドだよ。」
「・・・・・。」
「ピラミッドだ・・・。間違いない。ピラミッドだ・・・。」
「『山』じゃなくて、今度はピラミッドっていうんですか?」
「そうピラミッドだ。」
「どういう事ですか?早川さん」
「祐介。お前、石黒一郎が言っていた事覚えてるか? ふくろう蝶の話だ。」
「ええ。」
「ふくろう蝶の俺は、今まで自分が羽を広げた時の模様を何か飛ぶもの、鳥、そういった感覚しかなかった。ふくろうであることを認識出来なかった。―つまりピラミッドであるのに、それを『山』だという感覚しか持てていなかったんだよ。そしてそれは、実は『山』ではなく、そう『ピラミッド』だったんだ。」
早川満は、淡々と話していたが、声はかすかに震えていた。
「しかし、早川さん、『山』っていうのが『ピラミッド』に変わっただけで、私にはあまり違いは無いように思うんですが・・・。」
「祐介。『ピラミッド』だ。これは仕事なんだ。ピラミッドプロジェクトだ。」
「ピラミッドプロジェクトですって?」
「そうピラミッドプロジェクトだ。壮大なプランだ。全世界的に展開する・・・。」
「早川さん、ちょっと待って下さいよ。誰のために、何の目的で、どう展開するのですか・・・そのピラミッドプロジェクトっていうのは。」
「わからない。ただ非常に重要なプロジェクトだ。」
真里子は二人のやりとりを呆然と眺めていた。
「祐介。あとはお前だ。」
「えっ。」
「あとはお前が考えるんだ。ピラミッドプロジェクトの意味とそしてプランを。」
「早川さん、もう止めましょうよ。現実の仕事が忙しくて、そんな事考えている暇無いですよ。早川さんだって、暇じゃ無いんだから。」
「祐介。このプロジェクトは、もう始まってるんだよ。俺が『山』ってことが気になり始めた時から、もう俺らは、巻き込まれてしまっているんだよ。何かの流れに・・・。」
「・・・・・。」
「祐介。石黒一郎が言ったのを覚えているだろう。ふくろう蝶が羽を広げてふくろうの模様になる意味を認識できるのは、お前かもって。俺は、何とかして自分が羽を広げてふくろうの模様になってることまではわかった。しかし、その意味・・・。つまりそれが天敵から身を守るためであるー。という認識までは到って無い。それを認識するのは、今度はお前だ。ピラミッドプロジェクトの意味を認識するのは・・・。」
私はその時ピラミッドという言葉が私の頭の中で、山彦のようにこだまするような不思議な感覚に陥っていたのを覚えている。そしてピラミッドプロジェクトは、こうして始まったのである。

 あの不思議な出来事は、一九九八年初春、庭で遅い朝食をとろうとしていた私の左の親指に綺麗な黄色の斑点のてんとう虫が留まったところから始まり、そして、私の腕時計のベルトの所まで、そのてんとう虫が移動した、わずか七、八秒の時間の経過の間で終わった。しかし、私の記憶の中ではその出来事は六ヶ月に及ぶ出来事であったはずなのである。現実に経過した時間と記憶の中で経過したはずの時間とのあまりにも大きな「ずれ」を、私の中で、どう説明したらよいのか今でも困惑している。

 現実の時間と記憶の中の時間との「ずれ」を、夢、幻想、妄想、何でもよいので私自身の中で説明し、納得しなければ、私はもはや現実の時間の経過の中では生きていけないような気がしている。

 現実に経過した時間と記憶の中で経過したはずの時間の「ずれ」。これを何とか現実の時間に嵌め込まないと、それをいつまでも引き摺って、生涯の幕を閉じることが出来ない。まるですべてのパーツを嵌め込んで完成したはずのジグソーパズルに、数十枚のパーツが余ってしまって、いつまで経ってもジグソーパズルは、終わらないといったような不条理な重苦しさを感じでいるのである。私は今、もう一度、記憶の中の時間を一枚一枚確認していくという作業を
始めないわけにはいかない。

 これからお話しするのは、現実の時間では七、八秒。そして私の記憶の中では、少なくとも六ヶ月間に起きた不思議な出来事である。

第  一  章

 現実の時間と記憶の中での時間の接点。分岐点。あの黄色い斑点のてんとう虫が私の親指に留まった所から、このお話を始めることにする。
 私はあの頃、都内にある中堅の広告代理店の営業マンとして、数社のクライアント(取引先)を担当し、連日深夜の帰宅が続いていた。あの日も、前日明け方に家に戻ったため、十一時まで熟睡してしまい、恋人の真里子からの電話で目が覚めた。
「祐介。もう本当にいい加減にしてくれない。昨日、何時間待っていたと思うの。一時間半よ。九十分。五千四百秒よ。忙しいのは解るけど何で電話してくれないのよ。もうやめてくれない。そうゆうの。」
真里子はもともとある雑誌社の専属モデルだったが、どんなきっかけだかは知らないがいつの間にか、その出版社の正社員として採用され、今は編集の仕事をしている。
「ごめん。電話したんだけど。」
「三人の男の人から声をかけられたわよ。千四百秒に一人の割合。あと三秒待って四人目の素敵な人が現れてたら祐介とは今こうして話してなかったかも。祐介は私をいつもほっといて、心配じゃないの?」
「心配していたら切りないし。」
「あ。祐介。私のこと心配しているんだ。」
「心配してたら切りないから、心配してない。」
「もういいわよ。じゃ、さよなら。」
千四百秒。あと三秒。時間っていったい何なのだろう。人との出逢い・・・。
 私は真里子との電話の後、遅い朝食をとるために庭のガーデンテーブルに腰掛けて、もう一度、昨夜の会議のメモを見ながら企画書に手を入れていた。その時、あの黄色い斑点のてんとう虫が私の左の親指に留まった。今、思い出しても今まで見たこともないような本当に綺麗な黄色い色であった。そして何故か、懐かしい思いがしたのを覚えている。それは黄色い色に懐かしさを覚えたのか、或いは、てんとう虫に対してであったのか、てんとう虫を介在にした何かの出来事に対しての懐かしさだったのか。いずれにしても遠い過去の忘れてしまった記憶に対しての懐かしさであった。あの時、てんとう虫の黄色い斑点を見ていると、まるで映画のズームアップから、フェイドアウトし、フェイドインするように月が見えてきたのである。そして、私は、友人、早川満の鎌倉の高台にある眺めの良いマンションのバルコニーに居た。そう、あの不思議な出来事は、そこから始まり、その時から私の嵌め込むことの出来ない「瞬間(とき)」に迷い込んでしまったのである。

 満月。もしかしたら、あの出来事は、一九九八年の秋から始まったのかもしれない。だとすると私の記憶の嵌め込むことの出来ない時間のずれは一年程だった事になる。今、私が記憶の中で覚えている六ヶ月あまりの時間―。それは、あの出来事が記憶されているので六ヶ月と記憶の中の時間を認識しているのにすぎず、あと七ヶ月間は、記憶の中で忘れてしまった認識することの出来ない時間が経過していたのかもしれない。いずれにしても今となっては、一年であろうと六ヶ月であろうが、七~八秒の現実の時間と記憶の中での時間の経過との大きな「ずれ」が問題である事には、変わりはない。
「祐介、オレ最近すごく気になる事があるんだ。」
早川満は、私より五歳年上の三十八歳。グラフィックデザイナーである。五年程前に知り合い、仕事を越えた付き合いをしている。私は彼が好きで、そして、どこか尊敬している。
「気になるって、何が気になるんですか? 早川さん。」
「『山』だよ。『山』。」
「『山』って、あの富士山の『山』ですか?」
「そう、その『山』だ。」
「でも気になるって、どういう意味で気になるんですか。」
「わからない。とにかく気になるんだ。『山』が。」
早川満は、デザイナーとしてのデザインの才能より、アイデアを出す事には、天才的な才能を持っている。彼曰く、彼のアイデアは、ある時、突然誰かが囁くようにして頭に浮かんでくるそうである。
「早川さん。その『山』っていうのは、一体どの仕事と関係あるんですか?」
「仕事とは、全然関係ない・・・。多分。ただ気になるんだ。『山』が。」
「あの、すみませんけど、昨夜のA社の雑誌広告の展開の打ち合わせに入りたいんですけど、いいですか?」
「あ。そうか。祐介。お前今日は、その為に来たんだっけ。悪い。悪い。」
確かにあの時、私は早川満とあの黄色い斑点のてんとう虫を見た前日の夜、仕事の打ち合わせをしていた筈である。という事は、黄色い斑点のてんとう虫を見たその瞬間に三月の昼から、十月の夜に時間がずれたことになる。その七ヶ月間の記憶の中での時間の経過は、私には認識する事が出来ない。一体私は、記憶の中でた認識できない七ヶ月程の間、何処で何をしていたのだろうか。
 早川満があの時に、『山』が気になると言った事で、あの出来事のすべてが始まってしまった。いや、私が、『山』と言う事を考え、あの事を思いつかなかったら、恐らく迷い込んだ時間の中から、現実の時間に戻れた筈であったに違いない。しかし、私はあの事を思い付いてしまったのである。


「もしもし。祐介。少しはこの前の事、反省している?」
「ああ。真里子。反省しているよ。これから遅れそうになったら、必ず電話するよ。真里子、悪いけどこれから企画会議なんだよ。終わったら電話する。」
「ちょっと待って。少しだけいいかしら?」
「ああ。少しだけなら。」
「私、はっきり言って迷惑なんだけど。」
「何が?」
「今日、朝早くに早川さんから電話があって、登山家の石黒一郎を紹介しろって突然言うのよ。確かに先月号でうちの雑誌で登山家の特集やって、私、彼を取材はしたんだけど。」
「紹介ぐらいしてやればいいじゃないか。」
「そりゃ。早川さんのお願いならそのぐらいの事はするけど、『どうしてですか?』って聞いたら早川さんたら、『別に』って言うのよ。『別にって言われたって、どういうふうに、石黒一郎に紹介すればいいんですか?』って聞いたら、彼、何て言ったと思う。『山が気になるから彼と会ってゆっくり山について話を聞いてみたい』って言うの。凄く有名な方なのよ。石黒一郎は。山が気になる人がいるので、ご紹介しますのでお話しして下さいなんて、言える訳ないでしょ。」
「・・・・・。」
「祐介。あなた、聞いているの?」
「ああ・・・。聞いてる。真里子、本当に悪いんだけど会議始まるから・・・。今夜、イル・バローロで食事でもしよう。その時、話をゆっくり聞くから。とにかく、僕の方から早川さんには電話しとく。」
「わかったわ。今夜ね。遅れちゃダメよ。じゃ、さようなら。」
早川満は、二十代でACC賞を取り、それ以来デザイナーとして陽の当たるところで仕事をしてきた男である。彼のアイデアはデザインのレベルで優れているだけでなく、かならずマーケティングプランにまで応用出来るもので、そのアイデアは常に計算されているものであった。私は早川満と組んで仕事をしてきたことでクライアントと社内から、絶対的な信用と評価を受けて来た。その早川満とは、五年の付き合いになるが、今迄決してアイデアから私に説明した事は一度も無かった。時代分析から始まり、マーケティング分析、ポジショニング分析と言った論理的な長い説明の後に、だからこのアイデアだ。といった具合に私に説明し、そのアイデアは常に論理的で説得力のあるものであった。そんな早川満が、『山』が気になるんだと言うのは、一体どういう事なのだろう。私はその好奇心から早川満に電話をする事にした。
「早川さん。あまり真里子に無理言わないで下さいよ。彼女、困っているみたいなんで。」
「何の事だよ。祐介。」
「石黒一郎の件ですよ。訳もなく突然『山』が気になるなんて言いだすなんて、一体どうしたっていうんですか? 早川さんらしくないですね。」
「俺らしくない事はわかってる。でもどうしても『山』が気になるんだ。」
「いつ頃から『山』が気になり始めたんですか?」
「一週間ぐらい前からだ。突然、『山』っていうのが頭に浮かんできて、それ以来、思考すると必ず『山』が浮かんでくるんだ。」
「でもまたなんで『山』なんですか。早川さん、いつもの様にもっと論理的に話して下さいよ。」
「なあ祐介。俺は、今迄デザイナーとして一流の仕事をしてきたが、その基本は俺の天才的アイデアだ。突然、頭に浮かぶアイデアだ。しかし、アイデアといってもそこらのデザイナーがふと浮かぶ安っぽいデザインのアイデアとは質が違う。俺は、しっかりとクライアントの市場環境から、商品の特性、競合状況、訴求ポイントを徹底的に調べ上げ分析し、考え抜いて初めてアイデアがふと浮かぶ。だから、俺のアイデアには、しっかりとしたアイデアが生まれた根拠がある。」
「早川さん、私は早川さんと付き合わせてもらって五年ですよ。そんな事は誰よりも私が解ってますよ。だから『山』っていう発想をもっと論理的に説明してほしいんですよ。」
「祐介。『山』だよ。『山』。これは、天才的なアイデアなんだ。自信がある。でも今回は、そのアイデアの根拠が情けないんだけど、俺自身わからない。寝た覚えの無い女に子供を産ませたって感じだ。もっとも『山』だけじゃアイデアにもなってない。でもキーワードは『山』だ。間違いない。」
早川満はいつともなく混乱していた。
「わかりました。ちゃんと会ってお話ししましょう。今夜、真里子と食事をする約束しているんですが、よければ一緒に食事でもしながら、お話をしませんか?」
「何処で、何時だ?」
「八時にイル・バローロです。」
「わかった。」
「それじゃ。八時に。」
「あ、祐介。」
「何ですか・・・。」
「悪いな・・・。お前にしかこんな事話せない。」
「いいんですよ。早川さん。」
私は、早川満が根拠ない発想といいながらも『山』という発想に絶対的な自信を持っていることに大きな好奇心と興味をいだいていた。