忌憚なく云って、自分がどのような人間を(心の底から)軽蔑するかと云えば、特に四十五十を越えた大人の男の、下らぬ自尊心や虚栄心を捨て去れない様子を見るほど虫唾の走るものはない。年を重ねてほんとうに魅力のある人物となる男と云うものが、一体どれほどいるのか疑われる。時間のどんな悪戯が働くと云うことで、彼らはこうも拗けた心根を獲得するにいたるのだろうか。四十に足らぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ、と兼好は云ったが、まことや、命長ければ辱多し、こう云う人間真理を身内に照らして深く反省できる大の男がどれだけいるのか。しょせんは世情に疎い無智蒙昧な青年の感傷に過ぎないか。どうもそうとは思われぬ。
こう書くと激して聞こえるかも知れないが、そう激しているわけでもない。たとえば『論語』を読んで、次のような警句に出会う。
「子ノ曰ハク、由ヨ、女(なんじ)ニコレヲ知ルコトヲ誨(おし)ヘンカ。コレヲ知ルヲコレヲ知ルト為シ、知ラザルヲ知ラズト為セ。是レ知ルナリ」(為政篇)
「(前略)子コレヲ聞キテ曰ハク、成事ハ説カズ、遂事ハ諫メズ、既往ハ咎メズ」(八佾篇)
「子ノ曰ハク、過チテ改メザル、是レヲ過チト謂フ」(衛霊公篇)
孔子の言葉がわれわれの肺腑を突くのは、それらの言葉の、簡潔にして正確な点にある。弓矢が的の正中を射貫くように、こうも的確に真実を語りうるものかといつも愕かずにはいられない。意味はそれぞれ、砕けて云えば、「知らないことを知らないとすること、それがものごとを知るということだ」、「成したことも、遂げたことも、既にしてしまった過去のことはぶつくさ云うまい」、「過ちを自覚して改めないこと、それこそ過ちだ」。そして、この程度の箴言ならば、『論語』のそこかしこに浜の真砂のごとく落ちている。
大人の男なら誰でも『論語』ぐらいは読んでいるはずなのだが、孔子の言葉を全身に引きつけて、自らの生きる指針として行動倫理にまで昇華している人格者と云うのがどれだけいるのか、『論語』を読むと、そう云うことが反射的にわたしの頭をよぎる。冒頭の反語はこれゆえである。孔子の繰りかえし云う「学」とは、書物をよく読み、よき師に学ぶことを指すのだが、本を読むとは字面を擦過することに終わる虚しい読書家が、どれだけ多いか考えさせられるのである。
江戸前期の儒学者に、伊藤仁斎と云う人物がいる。彼の書に、弟子との問答形式で書かれた『童子問』と云うのがあるが、まだ全体の五分の一ほどしか読んでないが、非常に、心動かされた。すでに名著と断言して何の差支えもない。云うまでもなく、仁斎以降の(あるいは山鹿素行以降の)儒学は、徳川幕府の官学とされた朱子学に対する批判から始まった。朱註を排斥し、四書の徹底的な原文熟読に立ち戻ろうとしたのが、彼ら古学の唱道者たちの学問である。
『童子問』の下巻で、弟子が「書を読むには何を以て要と為る」のかと仁斎に問うくだりがある。仁斎は答える。
「識見を要と為。書を読んで識見無きは、猶読まざるがごとし。苟しくも識見を得んと要せば、正に其の帰宿する所を尋ぬべし。徒らに渉猟すること勿れ。須く外に在る者の家に帰ることを求むるが如くすべし。迷子の道路を行くが如くすべからず」、「書を読む者も亦須く帰計を作すが如くすべし。先ず其の有用無用を弁じ、其の学術政体に関り、己れを修め人を治むるの切要なる者を取って、其の泛然切ならず、実用に益無き者は、之を闕いて可なり」、「今の書を読む者、有用無用を弁ぜず、多を貪り靡を闘わしめ、僻書奇編、秘記奥牒に至るまで、索捜遺すこと無からんことを欲す。数行倶に下り、積むに数寸を以てするの捷有りと雖ども、其の成る所を顧みるに、卒に無識見の人為り」。
明日(もはや今日)、卒論の口頭試問がある。中途半端だが、これで擱筆。『童子問』については、また、書く機会があると思うし、書きたいとも思う。
平成二十六年二月三日(月)