神社のHPから転載

由緒と見どころ

(由緒)

この羽黒山は元は瀬戸内の小さな小島でしたが、万治元年(1658)備中松山城主、水谷勝隆公が玉島の干拓を行う際、水谷家累代の氏神、出羽の羽黒山の出羽神社(現 出羽三山神社)の神霊を勧請し、開墾成就と土地の守り神として羽黒神社を建立されたものです。水谷公の前の赴任地茨城県下館には、今はそれぞれ名称が変わっておりますが、かつて七羽黒と言われた七社の羽黒神社がありました。

徳川時代、瀬戸内第一の商港として繁栄ぶりは、神社建て替えの際の玉垣に全国各地の寄進が見えることからもわかります。現在の本殿は嘉永四年(1851)、幣拝殿は安政元年(1854)に再建されたものです。建物、彫り物、瓦、灯篭など、当時の技術の粋が施されています。

平成30年春、日本遺産(荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~)の構成文化財に認定されました。

御祭神は、玉依姫命、素戔嗚尊、大国主命、事代主命です。

末社に、住吉、水谷神社、菅原神社、玉島を救った熊田恰公を祀る熊田神社、和霊神社などがあります。

また七福神が本殿周囲に祀られています。



緩やかな坂道




足踏み式の手水舎
コロナ対応が成されています

天井の十二支

烏天狗



御籤にはいつも見透かされる

何事も控えめに😓
承知致しました







レトロな街並み


それにしても暑かった