非正規雇用者が4割を超えると言われている現在の日本。雇用者地位の安定は必要だと思う。他のところでも述べたが科学の進歩も必要である。地位の安定には鎖国、科学の進歩には開国(グローバル化)。地位の安定と科学の進歩を調和させるにはどうしたらよいか。難問であるが、一つには経済以外の価値の導入がそれを解決してくれると考えている。利他。具体的にはボランティア。それもプチボラ。小さなボランティアの導入もそのうちの一つである。それによって居場所ができる。

 行政の下請け的な重いボランティアはなかなか引き受けるのが難しい。しかし、プチボラなら出来る人が出てくるかもしれない。その機会を提供すること。これこそがこれからの私に課せられた使命ではないかと思っている。

 みんなをグイグイ引っ張っていく力はない。こうすればこうなるよと提案することぐらいしかできない。でも、プチボラ社会は今より明るいと思う。

 「大人からのあいさつ運動」も来年には100回目を迎える。長野県がやろうとした「信州あいさつ運動」。十分に出来ているとして県にほぼ協力しなかった坂城町。それに対しまだまだだという一部の声を耳にし、始めた「大人からのあいさつ運動」。県から借りてきた幟旗を返さなければならなくなったとき、後輩たちのためにと6本ののぼり旗を作ってくれた中学3年生の美術部員も今は社会人になっておられるだろう。若い人たちがプチボラ運動に参加してくれたら坂城町は変わる。一人でもいい。プチボラ運動の後に、ちょっとにっこりしてくれたらそれでいい。

 かつては道沿いの畑の中で農作業をしていると小学生が恥ずかしそうにあいさつをしていった。それが今では道から遠く離れたところで農作業をしていても大きな声であいさつをしていってくれる。

「大人からのあいさつ運動」を始めたとき、集団登校してきた小学生たちの足が参加者の前でピタッと止まったのを覚えている。見知らぬ大勢の大人が校門前に立っているのだから当然である。それがどうだ。今ではハイタッチしたり、お話をする子もいる。参加者一人ひとりに大きな声であいさつしていく児童もいる。

 「一回や二回じゃだめだで」と仲間の一人にいわれた。半年たったとき、校長先生から「いつまでやるんですか。この運動」といわれた大人からのあいさつ運動。町内3小学校で毎月、30人前後の町民の皆さんがこどもたちを励ますために集まってくれている。有り難いことだ。特定の人が校門前であいさつ運動をしているというご紹介記事は目にすることがある。しかし、行政区内の全ての小学校であいさつ運動が実施されているのは坂城町だけではなかろうか。

 一人だけでは出来ないこの運動。今回も沢山の方に助けられた。有り難いことだ。この運動の担当は何処にあるのですか、と参加者から聞かれた。質問した人は役場内の特定の部署を想定していたのかもしれないが役場内に担当の部署はない。

 始めてから9年目、旗振り役もいつしか代わり三代目となった小学校もある「大人からのあいさつ運動」。軌道に乗ったかな、とちょっと思う。だから、こんどは、プチボラ運動。

自分の頭の中に構想はあるのだがご理解をいただくには時間がかかりそうだ。

 『無料ワゴン』。これは循環バスに代わる移動手段を町民の皆さまに提供しようというものです。公共事業であるから誰ひとり残さず利用しやいものにしなけれならない。それには初期費用50万円とランニングコストが月6万円が最低掛かる。この費用を住民有志が工面し、尚且つ継続することは可能か。あれこれと策を練ってみたものの考えはまとまらなかった。『無料ワゴン』はここで思考停止に陥った。そんなときに、或る新聞記事が目に留まった。このブログに投稿し「工夫次第で生活は良くなる」でご紹介させて頂いた記事である。読み込むうちに新たな思考回路が動き始めた。研究していくうちに町や日本の未来を変えるかもしれないと思えるようになった。日本を変えるには外圧しかないとの考えもある。だから、内側から変えることは難題である。ボランティアなどというと、そんなことをやる暇があったら仕事をしろと。それが風潮である。新自由主義。全てを経済的価値に置き換えるのが国内世論の流れである。そんななかでプチボラ運動を提唱するのは頭がおかしいと思われかねない。しかし、田舎に都会の飛び地を作ったところで、住民は幸せにはなれない。田舎には田舎特有の価値がなければ誰も振り向かないのである。

 田舎の高齢者は移動手段に困っています。都会では充実してるが自然環境があまりよくない。環境の良い田舎で移動手段が充実したら老後の生活にはもってこいである。どんなに働くのが好きな民族であってもいつまでも働けるわけではない。そのときどうするか。所得格差をここでも引きずらなくてはならないのか。高齢者送迎ボランティア活動を導入するのがベストである。移動手段を手にした高齢者は他の高齢者に比べて健康になり医療費が少ないとの研究もある。誰もが移動自由な社会。それが理想である。しかし、それがかなわぬなら次善の策でも良いではないか。しかも、違った意味で町民の幸福感を実現できるならば。柔軟に考えよう。プチボラの構成員範囲を特定の地域に限定すれば地域づくりの新たな核にもなりうるのではなかろうか。人間関係が希薄になっていく田舎の救世主になるやもしれぬ。

 新自由主義のこの国には、特にこの町にはこの運動が必要である。新しい価値観を取り入れようとするのだから大変である。全てを経済的価値で測りその多寡を持って自分の価値を他人に認めさせようとしている人たちにとってはとんでもないことである。だが、この町の閉塞感をやぶるにはこれぐらいやらないと。価値観の多様性を高める。経済力の他に軍事力も評価基準に入れろなどという極端な話でもないのだ。

 そんな訳でこの町にプチボラ広めるのは大変だ。しかし、軌道にのれば町は変わる。広まれば国も変わるかもしれない。「そんな難事業、誰がやるだい」「そうだね。だからこそあんたが居るんじゃないか」

 

ご参考:

 

年報1995年 「ボランティア社会」構築の条件 杉本政治・高野和良 (nhk.or.jp)

 

2‐2‐2 ボランティア活動に対する国民の意識の概況:文部科学省 (mext.go.jp)