以前に勤めていた会社名がコメント欄に出てきたので思わず取り上げてしまいました。済みません。

 

コメント内容引用部分

 「住友生命は東京にミッドタウン八重洲の拠点において、オフィス内でウォーキングができるような環境を整えた。このように、企業が従業員に対して運動できる環境は今後、盛り上がりをみせるだろう。」

 

 

 このビルには関心がある。

 本体の常務をしたことのある高校の先輩がビル管理会社の社長になり、全国各地のビルに碁会所をつくり、人材交流と碁の普及活動に尽力されておられた。そのひとつが東京ミッドタウン八重洲になる前の建物内にあり、新たなビルをたてるので碁会所を神田に移さねばならなくなったと残念がっておられた。そのビルの後に出来たのが東京ミッドタウン八重洲であった。

 

 この先輩はよくしてくれた。私が長野市内に勤務していたとき、当時は市内で一番高い地上13階だてのビルに通っていた。建てたばかりの頃と違い、電子機器が沢山入り、クーラー容量が不十分になっていた。夏は暑くてテナントのNECさん(住友グループ)も困っていたが言い出せなかった。そこで、ビル管の所長さんと掛け合ったが埒が明かなかった。そうこうしていると突然、「○○だが分かるか?」との電話が入った。高校の先輩である。「みんなを抑えられないのか。自分にも出来ること出来ないことがある。いまクーラーを増設すると屋上にクレーンを上げるだけで1500万円かかる。だからちょっと待て。そのかわしやってやるから」

 翌年の1月、部屋の四隅の温度を調整できる当時の空調設備としては最高レベルのものが全館で完成した。阪神淡路大震災の少し前である。工事が遅れていたら入らなかったと思う。

 ケチ友と言われ、使えるものは何でも使えと厳しい一面のある会社だった。そこで

入社したてのころ、当時は常務であられた先輩にお電話をし支援を要請した。当時の上司はどういう教育をしているんだと叱られたという。

 先輩は今もご健在であろうか。

 機会があれば東京ミッドタウン八重洲にも行ってみたい。東京は刻々と変わる街だから楽しみである。

 

 

 余談の余談ですが、入社当時、東京での個人営業の成績はさっぱりであった。そんなことは先にも後にも記憶にないのだが最下位。にも拘らず本人はいっこうに落ち込まない。しかも扱いずらい。辞めさせてしまえという声が多かったが、世間知らずなだけでそんな奴だからいつかは役にたつかもしれんという人もいて会社に残してもらったようだ。

 「部下を替えてくれという奴は仕事ができないから本人を替えた方が早い」と書物に載っていた。だから、部下に苦言を呈したことはなかった。どんな部下でも辞めてもらいたいと思ったことはなかった。部下は良く働いてくれた。長として何度も表彰され、部門によっては全国第一位にまで押し上げて貰った。部下には助けられた。感謝しかない。いや、これまでの人生は周りから助けられてばかりであった。だから、少しでも恩返しをしなければ。

 

 先日、歯科クリニックに行った。名医である。一回の治療で冷水が歯に沁みることはなくなった。しかし、これほどの治療をなすにあたってどれほど学び研鑽をつんだことか。おかしいかも知れぬがご努力の全てが私の治療のためのものと考えている。

 二千五百年前のお釈迦さまの教えにもずいぶんと助けられた。おかしい捉え方と言われる人もいると思うが、現在の私を助けるためにお釈迦様は頼まれて渋々二千五百年前に諭されたと思っている。感謝している。

 どうしてこんな境遇に遭わねばならんのかと思ったことはないだろうか。多々あった。しかし、長く生きてきたお陰でそんな境遇でもほかの境遇よりましだったと思えるようになってきた。或る講演者が色紙に書いてくれた。「今が一番若い」

 会社に勤めていたとき、仕事の夢は見なかった。それなのにいまになって仕事の夢を見る。締め切り前に成果がなくて困っている夢だ。目が覚めて変な気分になる。待てよ。確か会社は辞めたはずではと思いホッとする。そして、仲間たちに思いを走らす。

 34年間に16回を超える異動をした。組織の立て直しが主な任務であった。一番の難所を渡り歩いた。「うちのようなところに来てくださって有り難い」と言った人もいる。或る時、栄転する上司に実績に対する賛辞を言った。すると上司は「そうだろ。そうだろ」と言ったあと、少し間をおいて寂しそうに「本当は柳沢さんがみんなやったんだよな」といった。でも、違う。「柳沢さんはやるべきことを示してくれればいい。あとは私たちがやりますから」と言っていた部下たちがやってくれたのだ。

 鬼籍に入られた方も大勢いる。正直、手のかかった人も大勢いた。でも、懐かしい。

 思えば今の非正規雇用を先取りするかのようなかつての保険会社のシステム。そんな中で社員さんのご家族とは親しく接しさせて頂いた。「これがお父さんの会社だよ」「これがお母さんの会社だよ」と自信を持って言えて、社員さんが大切にされていることをご家族も感じ取って貰えるように工夫した。

 非正規雇用者が4割を超えると言われている現在の日本。雇用者地位の安定は必要だと思う。他のところでも述べたが科学の進歩も必要である。地位の安定には鎖国、科学の進歩には開国(グローバル化)。地位の安定と科学の進歩を調和させるにはどうしたらよいか。難問であるが、一つには経済以外の価値の導入がそれを解決してくれると考えている。利他。具体的にはボランティア。それもプチボラ。小さなボランティアの導入もそのうちの一つである。それによって居場所ができる。

 行政の下請け的な重いボランティアはなかなか引き受けるのが難しい。しかし、プチボラなら出来る人が出てくるかもしれない。その機会を提供すること。これこそがこれからの私に課せられた使命ではないかと思っている。

 みんなをグイグイ引っ張っていく力は今もない。会社にいた時同様、こうすればこうなるよと提案することぐらいしかできない。でも、プチボラ社会は今より明るいと思う。

 「大人からのあいさつ運動」も来年には100回目を迎える。長野県がやろうとした「信州あいさつ運動」。十分に出来ているとして県に協力しなかった坂城町。それに対しまだまだだという一部の声を耳にし、始めた「大人からのあいさつ運動」。県から借りてきた幟旗を返さなければならなくなったとき、後輩たちのためにと6本ののぼり旗を作ってくれた中学3年生の美術部員も今は社会人になっておられるだろう。若い人たちがプチボラ運動に参加してくれたら坂城町は変わる。一人でもいい。プチボラ運動の後に、ちょっとにっこりしてくれたらそれでいい。

 かつては道沿いの畑の中で農作業をしていると小学生が恥ずかしそうにあいさつをしていった。それが今では道から遠く離れたところで農作業をしていても大きな声であいさつをしていってくれる。

「大人からのあいさつ運動」を始めたとき、集団登校してきた小学生たちの足が参加者の前でピタッと止まったのを覚えている。見知らぬ大勢の大人が校門前に立っているのだから当然である。それがどうだ。今ではハイタッチしたりお話をする子もいる。参加者一人ひとりに大きな声であいさつしていく児童もいる。

 「一回や二回じゃだめだで」と仲間の一人にいわれた。半年たったとき、校長先生から「いつまでやるんですか。この運動」といわれた大人からのあいさつ運動。町内3小学校で毎月、30人前後の町民の皆さんがこどもたちを励ますために集まってくれている。有り難いことだ。特定の人が校門前であいさつ運動をしているというご紹介記事は目にすることがある。しかし、行政区内の全ての小学校であいさつ運動が実施されているのは坂城町だけではなかろうか。

 一人だけでは出来ないこの運動。今回も沢山の方に助けられた。有り難いことだ。この運動の担当は何処にあるのですか、と参加者から聞かれた。最初の旗振り役は自分がお願いして回った。ほぼ初対面でのお願いだったが皆さん快く引き受けてくださった。その後、新たな旗振り役をお願いしたことはない。質問した人は役場内の特定の部署を想定していたのかもしれないが役場内に担当の部署はない。

 始めてから9年目、旗振り役もいつしか代わり三代目となった小学校もある「大人からのあいさつ運動」。軌道に乗ったかな、とちょっと思う。だから、こんどは、プチボラ運動。

自分の頭の中に構想はあるのだがご理解をいただくには時間がかかりそうだ。

 『無料ワゴン』。これは循環バスに代わる移動手段を町民の皆さまに提供しようというものです。公共事業であるから誰ひとり残さず利用しやいものにしなけれならない。それには初期費用50万円とランニングコストが月6万円が最低掛かる。この費用を住民有志が工面し、尚且つ継続することは可能か。あれこれと策を練ってみたものの考えはまとまらなかった。『無料ワゴン』はここで思考停止に陥った。そんなときに、或る新聞記事が目に留まった。このブログに投稿し「工夫次第で生活は良くなる」でご紹介させて頂いた記事である。読み込むうちに新たな思考回路が動き始めた。研究していくうちに町や日本の未来を変えるかもしれないと思えるようになった。日本を変えるには外圧しかないとの考えもある。だから、内側から変えることは難題である。ボランティアなどというと、そんなことをやる暇があったら仕事をしろと。それが風潮である。新自由主義。全てを経済的価値に置き換えるのが国内世論の流れである。そんななかでプチボラ運動を提唱するのは頭がおかしいと思われかねない。しかし、田舎に都会の飛び地を作ったところで、住民は幸せにはなれない。田舎には田舎特有の価値もなければ誰も振り向かないのである。

 田舎の高齢者は移動手段に困っています。都会では充実してるが自然環境があまりよくない。環境の良い田舎で移動手段が充実したら老後の生活にはもってこいである。どんなに働くのが好きな民族であってもいつまでも働けるわけではない。そのときどうするか。所得格差をここでも引きずらなくてはならないのか。高齢者送迎ボランティア活動を導入するのがベストである。移動手段を手にした高齢者は他の高齢者に比べて健康になり医療費が少ないとの研究もある。誰もが移動自由な社会。それが理想である。しかし、それがかなわぬなら次善の策でも良いではないか。しかも、違った意味で町民の幸福感を実現できるならば。柔軟に考えよう。プチボラの構成員範囲を特定の地域に限定すれば地域づくりの新たな核にもなりうるのではなかろうか。人間関係が希薄になっていく田舎の救世主になるやもしれぬ。

 新自由主義のこの国には、特にこの町にはこの運動が必要である。新しい価値観を取り入れようとするのだから大変である。全てを経済的価値で測りその多寡を持って自分の価値を他人に認めさせようとしている人たちにとってはとんでもないことである。だが、この町の閉塞感をやぶるにはこれぐらいやらないと。価値観の多様性を高める。経済力の他に軍事力も評価基準に入れろなどという極端な話でもないのだ。

 そんな訳でこの町にプチボラ広めるのは大変だ。しかし、軌道にのれば町は変わる。広まれば国も変わるかもしれない。「そんな難事業、誰がやるだい」「そうだね。だからこそあんたが居るんじゃないか」

 

 

ご参考:

歩行「1日60分以上」、筋トレ「週2~3回」で健康に 国が推奨へ:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

歩行「1日60分以上」、筋トレ「週2~3回」で健康に 国が推奨へ(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース ←このページは現在、存在しません。

 

 

 

住友生命 東京ミッドタウン八重洲 221220.pdf (sumitomolife.co.jp)

 

東京ミッドタウン八重洲 - Wikipedia

 

リアライズ長野ビル(長野市鶴賀(上千歳町))のビル情報【オフィスナビ®】 (office-navi.jp)