これまでに、このブログから考えた事
を念頭に、元海上自衛官の見解を掲載します。

公式は正解とは限らない。軍事なら秘密保持の為に嘘
をつく。軍艦大和の大砲は公式では40cmであった。
ジェット機U-2も撃墜までは「気象観測機」であった。
また嘘ではないが本当でもない話もする。酸素魚雷
の酸化剤は「第2空気」であり、対空砲弾の近接感知機
構は「魔法信管」としていた。

組織にとって都合が悪い話も隠す。防衛省自衛隊の

場合はそれが多い。嘘はあまりいわない。本当でな
話もそれほどにはしない。ただ、反発や摩擦が予想
できる話では緘黙(かんもく)する。軽空母「いずも」
の諸寸法は最初からF-35B対応であった。それを海自
は決して口にしなかった。 


元海上自衛官が冷静に分析する
https://news.yahoo.co.jp/articles/

運翰省元事故調查官の平栗 元喜氏
JAL123便の飛行高度は、 「1万5千
フィート(4572m)に達している」
と発言されています。

18:27:20  JAL123から東京。
日本航空123便トラブル発生。
直ちにえ一羽田へのリターンを
要求、 2千フィート(670.5m)
降下と メンテンを要求。

1万3千フィート(3962m)で、
海路を羽田に戻る予定だった
事が、判ります。

1985年8月27日発表の中間報告    

18:25:20
JAL123から東京。
日本航空123便トラブル発生。
直ちにえ一羽田への
リターンを要求、
220への降下と
メンテンを要求
オーバー

この時点で18:27から18:25に
変更されて仕舞っています。
2200フィートが、2万2千フィート
(220フライトレベル)に変わっています。


事故調査報告書に記載されていない

 機長が「四千メートル」まで降下する 
要求を出したと、書かれています。
 12192フィート 

 1985年8月13日付のサンケイ新聞
(大阪本社版)

 
 9800フィートまで降下し、パイロット 
はそれをコントロールセンターに伝える。
 となっています。
 2987m 

 1985年8月13日付の毎日新聞
(大阪本社版)

都留市や角田四郎氏
 目撃者の情報を加味し、
運翰省元事故調查官の説明から、
サンケイ新聞(大阪本社版)と、
毎日新聞(大阪本社版)の情報は、
大阪人のパワーを感じさせます。

マスコミ側も0を追加
して、顔色を伺いながら
情報を流したと思われます。

実際には400m迄の降下する要求し、
実際には要求を下回り298m迄、
降下して仕舞ったと連絡したのでしょう。