改竄過程の一例を
纏めてみました。

20時21分 上野村役場に、奥名郷の住民から
「両神山の方向に19時30分から50分の間、火
が見えた」との情報が捜索関係者に寄せられた。

奥名郷の住民の情報

(此の場合の情報は、場所では無く
どんな事が行われていたかを後世
に為政者が流す手法で、昔から事
実を知る事が、出来た人だけに注
意を惹き付けた情報だと理解下さい)

19:30から火炎放射器の大規模な使用が、
20:20頃迄、為されたと思われます。

B707-135RC (RC/T)、Rivet Dandy
機体番号 55-3121が、生存者に気が付
かれぬ様に不時着して火炎放射器を使用
したと思われます。

墜落後の夜間に英語で話して

いる人達がいたとの証言有り


航空自街隊 林 彰三佐が、日航
123便墜落事故の当日深夜のCB
C・JNNニュースの取材に応じる。

午後9時前 「山の南東斜面、
約5千フィートの位置で 山
林火災の様に炎上中の物が見えた」

「100m四方の航空機の形に近い 航
空機その物は確認して無い」

「もう中央部は、大分下火になって
周辺部分で特に機首部分と思われる
部分で発生が強かったと思われます」

燃料タンクとは無縁の機首部分が
強かったとは?

実は、747SR-100型ジャンボは、
ジュラルミン製で燃え難いのです。

墜落から33分後急に?

カーボン製ならば
カーボン自体は炭素繊維で燃えませんが、
 炭素繊維を固めるための樹脂が石油製品
なのでよく燃えてしまいます。

19:30から火炎放射器の大規模な使用が、
20:20頃迄、為されたと思われます。




初めの生存者4名は、機体から離れ
焼かれるのを免れたと思われます。

謎の集団目撃の怪

墜落した日の深夜、上野村の住民は御巣鷹山
から下山する集団を、目撃した何十人もの物
言わぬ真っ黒な集団が下山し、やがて消えて
いった

数年後 同じ証言者に取材すると 「そんな
ものは見ていない」と言ってます。

口止めされ証言を翻してます。

JAL123とは異なる機体

JAL123便の擬装機体
B707-RC135目撃情報
事故報告書のエンジン写真に使用



午後7時50分頃、南相木村役場の電話の
切れ目を縫って情報を寄せてきたのは、
営林署勤務の菊原 幸雄氏(51)

「実はついさつき、でっけえ飛行援が、
低空で飛んでいくのを見たで 。うちの
裏山の向う側に落っこってっただ。日
の丸ついとったから、日本の飛行機に
違いねえ」

湧いて出て来た長野県県警の情報

午後十一時三十分、長野県部への情報に
よると、「午後六時十五分から、二十分
の間に、ツルのマークが入った飛行機が、
御座山上空百、二百メートルを群馬県上
野村に向かって飛んでいる」のを、北相
木村の南栗生、栗原孝雄さん(52)が目撃。

目撃者氏名、年齢、
通報時間、目撃時間が変わり
内容だけは正確さが有ります。
TVで報道された内容と同じでした。
長野県県警の情報!

19:20分過ぎに視認。19:47の機体が変更。
直ぐ19:20過ぎ、更にF-4EJに改竄されます。

「19時47分、百里基地を発進した
航空自衛隊RF-4 Eが炎上中の飛行機を確認」

RF-4Eが炎上中の飛行裁を確認。
北緯36度2分、東経138度41分。

(航空情報1985年11月号)

のちの発表で改竄
炎を確言
19時21分とされ

航空自衛隊戦闘機(F-4EJX2)
となっており、RF-4E偵察機
の出動が、消去されております。

RF-4E偵察機。
19:01
百里基地司令官が、
RF-4E偵察機を出動させています。
「ファントム偵察機が発進した」
元自衛隊員町田 英夫氏の証言。