元寇として知られていた
元帝国の侵略

元帝国は北九州へ二回侵攻しています。
1274(文永1)年の文永の役と、
1281(弘安4)年の弘安の役です。

史料的には蒙古合戦や異国合戦
という表現が一般的でした。

戦闘は北九州、北海道・サハリン、
そして沖縄(琉球)の3か所です。



13世紀に3つの地域で大規模な
対外戦争を行っていました。

元帝国は東南アジアにも侵攻し、ベトナム
(陳朝)やインドネシアのマジャパヒト王国
などとも戦っています。

藤原 兼仲の日記、勘仲記などから、モン
ゴル軍は7日ほど滞在し、最後に暴風雨に
見舞われた事が分かっています。

元側の記録でも、撤退開始が先で、暴風雨
が後で、日本の武士の巧みな作戦でモンゴ
ル軍が苦戦し、撤退を決定したのです。

元の集団戦法に対して、日本軍は奇襲や、
一族郎党を率いた小集団によるゲリラ戦
法で翻弄し、モンゴル得意の大軍事行動
を、展開させませんでした。


一騎打ちと集団戦法の記述

30年後に書かれた、八幡愚童記に見られます。