何処からF-4EJは123便が炎上して
飛行する姿を見ていたのか?


全長19.2m✖️全幅11.7m✖️全高5.0m

エンジン 8,100kg ✕ 2(アフターバーナー使用)

最大速度 M2.2

全備重量 約26,000kg

装備 空対空レーダーミサイル✕4

空対空赤外線ミサイル✕4

又は空対艦ミサイル✕2



米空軍C-130輸送機と航空自衛隊の飛行機
のパイロットが123便が飛行中に炎上して
いるのを見たと書いています。

田空港管制室職員の沖津さん(Okitsu 
Toshimune)が、炎上について調べている
ということが海外紙に書かれています。

カナダの新聞オタワンチスン紙 8/12版

墜落の直前を、米軍の
C-130輸送機のパイロットが目撃。
「秩父市の西北西約三十キ地点。
飛行機が炎上しながら落下していた」

1985年8月13日付のサンケイ新聞
(大阪本社版)

18:59 東京管制部に 横田から情報が
入った。 『米軍輸送機C130が横田
の北西305度、 34マイルの位置で、
航空機(JAL123)が 壁落炎上して
いるのを確認 この情報は19時2分
までにRCC中央教 雑調整所など、
関係機関に伝えられた。 

航空ふぉーらむ、185第27号 15頁

18:59 羽田の航空機救難調本部(RCC)
123便消滅情報入手自衛隊.
警察空自海保航空局に連絡

19:01
百里基地司令官が、
RF-4E偵察機を出動させています。
「ファントム偵察機が発進した」
元自衛隊員 町田 英夫氏の証言。
19:05
RF-4E偵察機、発進。

19:10米軍横田基地所属C-130輸送機
現場再到着。基地に一報。

19:20 大阪空港待合室ロビーのテレビが
一二三便の行方不明を報道、出迎え客数
人がテレビに駆け寄り、悲鳴をあげる。
1985年8月13日付の読売新聞(大阪本社版)

19:21百里基地所属のRF-4E偵察機
横田タカン*300度、32マイル炎上中


20分旋回後に一報


横田タカン(TACAN=戦術電波航法標識)


19:30 航空自衛隊、第305飛行隊の

F-4EJの式地 豊 二尉炎を確認、横田

タカンから300度、32マイル


航空自衛隊、第305飛行隊のF-4EJ、

2機は、123便が、炎上して飛行する

機影を観ていた。



18:57:05米軍C-130輸送機レーダー

からも、123便機影消失


18:57:30 東京管制部レーダーに、

再浮上したスコーク2072(123便

割当)の機材はF-4EJ


羽田から方位308度(北を0度、時計

回りに表示。 西北西)60海里(約11

0Km)付近、高度9700フィート(295

6m)、速度300ノット(556Km/h)

と発表しています。


此の位置は墜落直前の位置で、実際の

墜落地点の約7Km北北東に、当たりま

す。   高天原山


18:57

横田(RAPCON) が「貴機は横田の北西

35マイル (65km) 地点におり、横田基

地に最優先で着陸出来る」と呼び掛け

させてます。  高天原山


東京(ACC)管制部も、スコーク2072

(123便割当)の機材に横田基地に、対

して周波数を変更する様求めたが、既

に123便は墜落していました。

 

 もう1機は?

長野県東部町海野宿跡(現在東御市)に

居たK氏が、上空を上野村から、新潟

方面に飛行するF4-EJを目撃しており

ます。

東御市は、2004年4月1日-小県郡東部町・北佐久郡

北御牧村が合併して発足している。 2016年取材


19:13  誤報

海上保安庁が米軍横田基地に確認した

情報発表。 「同基地の北西61キロ付

近の山中(富岡市手前)で、同機らしい

炎上がある。





高天原山付近の住民の証言


「長野群馬県境通称『蟻ガ峠』辺りからキーン

キン・カタカタ・ブォーンと言う空港でジェ

ット機が離着陸する時の様な音が2〜3秒し

た後、山肌50センチ〜1メートルの高さと、

約600〜700メートルの長さで山の稜線に

沿って一瞬蒸気みたいに横に広がり真っ白

い光になった。その白い光の上に瞬間真っ

赤な光が出た。この真っ赤な光も一瞬にし

て消えその後、勢いのある黒いキノコ雲が

モクモク上空に湧き上がってきた。キノコ

雲の高さは上空800メートル〜1キロ昇り、

キノコ雲は5分位続いた。横で一緒に見て

いた子供がびっくりして腰を抜かし地面に

座り込んだまま55分から10分位その場で

動けなくなった」


近くを飛行していたのに、発見され無い筈です。