遺族の川北 宇夫タカオ氏が、アント
ヌッチ氏に連絡を取り交わした
記録。 その参



アントヌッチ氏
 真相究明のためには以下の3点が明らか
にされる必要があると思う。 

 ①8月12日6時57分より9時20分までの間
に日米当局でどんな交渉が行われたのだろ
うか? 
 ②何故我々は現場を去るように命令された
のか? 
 ③日本の当局はどのような命令を救援隊に
与えたのか?(日本のV107ヘリ2機は交代
機が来る前に現場を去るよう命令されたのか? 
誰かが「朝まで現場を放棄しよう」と言った
のか?) 

 川北氏
 95年8月17日付「太平洋星条旗」に載った
貴方の体験によると「現場到着2時間後の
午後9時20分、最初の日本機が現れた。管
制塔はそれが日本の救援機だと言った」と
あるが、その日本機はヘリコプターか?
 固定翼機か? 

 アントヌッチ氏
我々が現場を去る直前に到着した日本機は
固定翼機だった。高度は海抜1万3千~1万5
千フィート東から接近してきたように思う。
機長のグリフィン大尉がその機に「現場を
渡す」旨送信していたようだが応答*は無
かった。 

*居無いものとする為(上官命令)に
応答し無かった可能性が高いです。
東京管制部とC-130輸送機のやり
取りが、広島着陸に摺り替えられ
ています。

C-130輸送機の目撃証言

旧上野村西小学校で開催された
ガキ大将スクールのスタッフが
目撃した「キャンプファイアー
が始まった午後7時ちょっと前
に、西方に向けてゆっくりと飛
行している大きなプロペラ機を
見た」(『墜落の村』91頁)

 川北氏
貴方は座間キャンプの米陸軍ヘリを現場に
誘導したが、貴方が交信したヘリの乗員は
海兵隊員だったのか? 

 アントヌッチ氏
のちにグリフィン大尉と記憶を突き合わせ
た結果、私が「海兵隊」としたのは間違い
で「陸軍」と訂正されるべきだ。 

 川北氏
「太平洋星条旗」紙には貴方の「私は後に
日本の危機管理当局に近い人間から彼らが
自分達より2時間も前に1機でなく2機の米
軍機が現場にいたことに驚いたと聞かされた」
との発言があるが、貴方にそう語った人物の
名前や所属、そしていつ彼が貴方に語ったの
かを教えて欲しい。

 アントヌッチ氏
その人物はオフレコの約束で話してくれた
ので名前は言えない。 自衛隊に多くの友
人を持つ「第5空軍」の関係者とだけ申し上
げる。

 川北氏
95年9月25日放送の「ニュースステーション」
で、当時の在日米軍最高幹部が匿名を条件に
「事故の当日かなり早い段階で日本の自衛隊
は米軍の援助を断わった」という事実を明か
した、と報道した。この点についてはどう思
うか? 

 アントヌッチ氏
在日米軍最高幹部の証言は真実で正確だと信
じている。その人が誰かを知る方法はない。

 川北氏
同じく「ニュースステーション」で松永司令
官は夜間における山間のりペリングは自殺行
為、と言明しているがこの点についてはどう
思うか? 

 アントヌッチ氏
確かに危険ではあるが、「自殺行為」と呼ぶ
のは馬鹿げている。夜明け前に墜落現場に多
くの救援隊員を降下させることは可能だった、
と改めて強調したい。