遺族の川北 宇夫タカオ氏が、アント
ヌッチ氏に連絡を取り交わした
記録。 その弍



 川北氏
「夜間現場に近づくのは不可能だった」
と主張するのは日本人か米国人か? 
 アントヌッチ氏
ジャパンタイムス紙の記者から当時の
自衛隊中部航空作戦司令官のオオナカ・
ヤスオ氏が「夜間現場へのリペリングは
危険と判断し断念した。米軍でも不可能
だったろう」と主張していることを聞いた。 

 川北氏
「森林進入装備」とはどんなものか? 
 アントヌッチ氏
特殊な防具で森林地帯への降下を可能
とする装備。自衛隊もこの装備を保有
していたものと確信している。

 川北氏
95年9月25日のテレビ朝日「ニュース
ステーション」に元航空自衛隊中部航
空方面司令官・松永貞昭氏が出て、あ
の夜の現場への降下は「自殺行為」と
断言している。 

 アントヌッチ氏
「リペリング」とは滑車を利用したロ
ープによる降下の事。私の見た新聞報
道では自衛隊による最初の現場降下は
13日午前7時45分とある。日の出は、
それ以前の筈なのに、何故日の出と同
時に降下しなかったのだろう? 又、
朝まで何の対応もしないと決定したの
は誰なのか? 私のTACAN測定は間違
いなかったと確信している。もし朝迄
救援活動が試みられなかったのなら、
少なくとも飛行機1機を現場上空に張り
つけるべきだったと思う。 私は以下の
点についてずっと疑問に思っている。
即ち、自衛隊は残骸の位置を知ってい
たのだろうか? もし知っていたなら
どうしてもっと早く救援活動をしなか
ったのか? 知らなかったのなら8時
42分に上空を旋回していた2機のヘリ
は何者だったのか? その後どこへ行
ったのか?