横田管制が123便に横田基地への着陸を
許可するのを聞いた。123便の緊急事態
は相当に深刻で、当該乗員は米軍基地へ
の、着陸を希望したのだった。 
アントヌッチ氏の証言

横田基地の複数の米職員によると、
パイロットは緊急着性許可を要求
し許可を得たという。

共同通信によると、客室乗務員は
機体の左後部ドアに問題があり、
米空軍横田基地への緊急着陸を
試みると無線連絡した。

1985年8月12日付のテキサス州の新聞
『Big Spring Herald』によると
東京AP通信より


月曜日、524人を乗せた日航ジャンボ機
は、横田基地への緊急着隆を試みると
報告したあと、日本中部の険しい
山中に墜落した。 

8月13日付のブラジルの新聞
Diário do Pará紙

東京ACC管制部は、東京都福生市の
アメリカ極東空軍•横田米軍基地に協
力要請。直ちに、横田基地の滑走路を
空け、消防•救急を待機させると同時に
、岩国海兵隊基地から横田基地に向か
っていたC130HH輸送機に、123便の
サーチ•アンド•レスキュー(捜索•救助)
を要請し、18:45準備完了しました。

18:40 横田基地周辺に退避勧告が出されたそうです。

18:44:06
えー、相模湖まで来てます
横田へのレーダー誘導を要求 (JAL123)
18:44:09
了解、了解 滑走路36 磁方位90度
を維持して下さい (横田APC)
18:44:12
了解 (JAL123)
コックピットのクルーに安堵感が
広がったに違いありませんが、油
断した隙にレフトターンさせられて
仕舞い…
18:44:16
「あー、あああー」 (CAP)
18:44:33
「これは駄目かも分からんね」(CAP)
機長の不安を感じられます。
レーダー誘導で、横田基地南南東の
ポイントYUMIで3000フィート
(914m)の地点で、レフトターン
から滑走路進入する予定でした。  
18:46着陸予定

あの日私の誕生日なので、良く覚えて
います。  町の南側に有る今熊山
(東京都八王子市美山町)の方向から
大きな飛行機が現れ北北東の方向へ、
ゆっくり飛んでいた。五日市高校の
上空辺りを、飛び日の出町方向の山へ
消えました。 時間は午後6時45分
頃の20から30秒間です」
(角田 四郎氏の取材で南澤 輝明氏の証言)

村上 良平氏(43)遺書
18・45 機体は水平で安定して
酸素が少ない気分が悪るい
機内よりがんばろうの声がする
機体がどうなったかのかわからない

*機内客室の減圧が進行してます。

18・46 着陸が心配だ
スチュワーデスは冷せいだ

「フラップどうしましょうか?」 (F/E)
「未だ一寸、早い」 (CAP)
「ギヤ降りてますか?」 (CAP)
「ギヤ降りてます」 (COP)

https://ameblo.jp/b18c3773/

entry-12763043780.html


公表されたDFDR上には18:45~18:48”の間に

フラップ作動の記録はないのだが、報告書内

の説明としては、この区間でDFDRにフラップ

作動が記録されたことを示唆している。


横田管制が、123便に着陸を許可
するのを聞いた。
(マイケル•アントヌッチ 氏証言)

北側滑走路への進入(市街地)
2、3回目のトライ
日の出町でライトターンして、
横田基地の、北側KATANAポイント
上空を、3000フィートでライトターン
して、進入の予定でしたが、機体を右に
傾けられず、操縦不能を叫ぶ事になります。

横田基地に2回目の着陸を、北側から
行おうとして、右旋回から最終着陸体制
に入ったが操作が出来ずAPCに通報します。

18:45:46
「操縦不能になった」JAL123
事故当日のCBC JNNニュース
ニュースデスク
田畑 光永アナウンサー



肝心な時に操縦不能になって

おり、 偶然では無いです。 

1985年8月27日発表の中間報告 

操縦不…(以下不明瞭) 

1987年6月19日発表の最終報告 

アンコントローラブル