宗像氏は、古代以来、海の領主で古代末期
から、 中世には最も積極的に海外交易を行
い、日宋貿易 に関わりました。

九州における貿易の中心的役割を、果たし

当時の 神官は国際派で有り、中国語も堪能
で、大宮司は二代に亘って宋人女子と婚姻
してます。 

 九州沿岸に唐坊(今で言うチャイナタウン)
が、存在して居り、貿易に携わる宋人達、
宋人の リーダー(網首)船頭や船乗り達も、
現地妻である日本人妻を娶ります。

鎌倉幕府滅亡の勲功第一の足利 尊氏が、建武
政権から離反して、追討令が出され、尊氏は
京都合戦で、新田義貞・楠木正成に大敗。

九州まで落ちのびてくると、大宮司氏範(氏長)
は足利尊氏を宗像社に迎え、多々良浜で菊池 武
敏らと戦って尊氏の勝利に功を立てますと、足
利尊氏は上洛に際して、一色 範氏(道猷)を鎮西
管領(後の九州探題)として残し、九州の鎮定に
あたらせ、大宮司氏俊は一色氏に属しました。

宗形氏直系系譜

源 清氏ー氏男ー氏能ー宗時ー為忠ー氏高
ー氏季ー氏尚ー氏信ー氏実ー氏経ー氏有

宗形 氏実ー氏国=氏業(氏有)ー長氏ー
宗像 氏盛ー氏範ー氏俊ー氏頼(弥松丸)

1313(正和二)年、大宮司氏盛は『宗像氏事書』
十三ケ条を制定、宗像郡を中心に領主制を展開
し、宗像一族の掌握に務めました。

九州は元冦以後、鎮西探題が置かれ、宗像社は
北条得宗家の強い支配を受け、宗像大宮司は、
北条氏の被官になりました。

氏頼は、1369年壱岐守護職を務め、大宮司
職を継承するが、1391年に弟の氏重に本家
を相続させ、一色氏の守護に隣接する尾張
国丹羽郡へ、氏重の子、重勝を伴い移住します。

宗像宗家系譜

宗像 氏盛ー氏範ー氏俊ー氏重ー氏経
(千代松丸)ー氏俊(祝松丸)ー氏郷ー氏定
ー興氏=黒川 隆尚(正氏)

本家に養子を出す諸家系譜

宗像 氏盛ー氏範ー氏俊ー氏重ー氏経ー
氏俊ー氏郷ー氏定ー興氏ー氏繁=深田 
氏俊ー氏実(兄弟に千秋)ー氏栄ー氏房

宗像 氏盛ー氏範ー氏俊ー氏重ー氏経ー氏俊
ー氏郷ー氏定ー興氏ー栄繁ー千賢=深田 
千秋ー千治ー千継ー秋継ー千時


宗像 氏重ー氏経ー氏俊ー氏郷ー氏佐ー正氏
宗像 氏重ー氏経ー氏俊ー氏郷ー氏佐ー深田 氏俊

宗像 氏重ー氏経ー氏俊ー氏郷ー氏佐ー氏続ー
氏男ー黒川 氏隆ー氏一