異常の発生は、2回

PM6•••30 知子 哲也
(両親を)をたの む圭市 

突然ドカンといってマスク がおりた 
ドカンといて降下はじめる 
しっかり生きろ 哲也 立派になれ 

松本 圭市氏 (29)の遺書

最初の異常音でマスクが落下
二度目の異常音が降下する切
っ掛けになった事が判ります。

8/13の証言  
デコンプレッション (減圧)があった。
 ボーンと音がした。

 藤岡市の多野総合病院に搬送
されて1時間も経たない午後3
時過ぎ、事故調査官に語った証言。  

 8/14の証言は 午後6時25分頃「バーン」
という音が上のほうでした。 そして耳
が痛くなった。 ドアが飛んだかどうか
わからない。  

日航の重役から見舞いを受けた際に。
 注釈 異常は隔壁では無く上からしている。

 10/16の証言で バーンという音がした後、
自分の座席から三席前の左上部で板が外
れ、ぶら下がった形になった。  機内は
パニックの状態、「キャー」 と言う
悲鳴や子供達の「お母さん」 と叫ぶ声
で一杯になった。

 回復後は、できれば元の職場に戻りたい。
 藤岡市の多野総合病院で報道関係者との 
直接インタビューの際の証言。

 1986年の証言  水平飛行に移るかなという
時、「パーン」という、かなり大きい音がし
ました。 テレビ・ドラマなどでピストル
を撃ったときに響く様な音です。 

「バーン」ではなくて、高めの「パーン」
です。 急減圧がなくても,耳を押さえた 
くなる様な、凄く響く音。前ぶれの様な
異常は、全く何も感じませんでした。 音
は、私の一寸後ろの天井の辺りからした
様に感じましたが、そこだけでなく全体
的に広がったように思います。 私は思
わず天井を見上げました。 しかし、振
動は全く感じませんでした。機体も揺れ
なかった。  お客様からは、「うわっ」
という声がした。 女の人だと「きゃっ」
という、一瞬、喉に詰まったような声。

騒がしくなるとか、悲鳴があがるという事
はありませんでした。 

やはり*「パーン」という音と同時に、
白い霧の様なものが出ました。 
かなり濃くて、前の方が、うっすらと
しか見えないほどです。  私の席のすぐ
前は、それほど濃くはなかったのですが、
もっと前の座席番号「47」「48」辺りの
ところが濃かった様に見えました。

ふと見ると、前方スクリーンの左側通路に
スチュワーデスが立っていたのですが、そ
の姿がボヤーッと見えるだけでした。 

その霧の様なものは、数秒で消えました。 
酸素マスクをして、ぱっと見たときには、
もうありませんでした。

白い霧が流れるような空気の流れは
感じませんでした。 すっと消えた、
という感じだったのです。

 ⚫️ 8/14の証言は18:24 1986版の証言の
最初 午後6時25分頃「バーン」という 音
が上のほうでした。  

 ⚫️ 8/13、10/16の証言は18:25 1986年の
証言のやはり*「パーン」 (ボーン) と
いう音と同時に•••、からは18:25 デコンプ
レッション(減圧)があった。 

ボーンと音がした。 時計を見た18:25だった。

 *「やはり」、同じ様な音がした時の意味
でしょう。 

川上 慶子氏親族、身内証言 18:25 続いて
「メリメリ」、「ガリガリ」 という金属
音が聞こえました。 川上 慶子氏 

決定的なのは、乗客の対応です。

 1986版の証言 18:24 お客様からは、「うわっ」
という声がした。女の人だと、「きゃっ」という、
一瞬、喉に詰まったような声。騒がしくなるとか、
悲鳴があがるという事はありませんでした。

 10/16の証言 18:25〜 機内はパニックの状態、
「キャー」 と言う悲鳴や子供達の「お母さん」
 と叫ぶ声で一杯になった。

 補足します。 

タクシー運転手の、近持 芳太郎氏 (58)は、
 同僚と河津町駅前ベンチで、 休憩中に海側
の北東上空で、雷のような ボーンと、言う音
を聞きます。 



「旋回の傾きは、九十度に近く乗客は、 
パニック状態になるのではと思った」

 18:25:13 
ライトターン 
ライトターン 

バンクそんな、そんなに 
はい 
バンクそんなにとるな、
馬鹿 
はい 

大島に向けての大右旋回の
筈が45度止まりになり、焦
って 操縦輪を更に操作した
結果だと思われます。