日航123便の残骸について

「この金属片には、白い塗装と赤がかったオレ
ンジ色の塗装が地上を引き擦った様に付いてい
る。 然して不思議な事に、これには1箇所に集
められた日航機の他の残骸と違い、機体の位置
を示す荷札もついてい無い。 当初は後部胴体の
外板の一部かもしれないと思ったが、日航機は
オレンジ色を使用していないという」

航空評論家の関川 栄一郎氏は、テレビで「無
人標的機が、ぶつかったのではないか」と発言。

「オレンジ色の物体」については、当時、吉原 
公一郎氏が、独自に入手したビデオで、事故現
場に「オレンジ色の金属片があった」とし、機
体には全く用いられていない物だとし、「自衛
隊ののミサイル実験のための無人標的機が衝突
した可能性」を指摘した。 
日航123便の残骸について1985年9月20日号
の週間ポスト

 日本航空が開設した「安全啓発センター」には
事故現場からの、回収物などが展示されていて、
その中で「40」と表示された大きく細長い残骸
が赤みの強いオレンジ色です。事故機の機体は白
が基調で他は赤と濃紺です。 




ブラック・ボックスは色こそ似ているけれど形
が違います。注意を喚起するオレンジ色で、塗
装された物体が日本の領空を、飛んでいてもそ
れ自体は異常で無いです。

自衛隊の無人ジェット標的機も、これに含まれ
ます。小型種はまさに円筒に近い形をしています。 全長が約7mの「ファイアー・ビー」は、
農薬散布用の小型機よりも小さくて翼が、迚も
短いのです。

垂直尾翼と水平尾翼が、発見された現場に
存在していたのが、縦160~200cm、横50
~60cmで3列に渡り、リベットの穴がびっ
しり並んでます。 白い塗装と赤みがかった、
オレンジ色の塗装が引き摺った様に、付い
てました。  低速標的機の残骸だと思われます。


衝撃や炎に晒された物体


角田 四郎氏は、JAL123便が行方不明になった
事が分かった時、家族の受付けカウンターのあ
った羽田東急ホテルに行く。その時、乗客、乗
員の家族から質問責めにあっていた日本航空の
町田 直 副社長がいたのですが。 家族の質問は
執拗で、かなり激しかったので、相当感情的に
なって、次の様なとんでもない事を言ったとい
うのです。 

「 うちの機は、北朝鮮のミサイルに撃ち落と
されたんだ。今はそれしかわからん!! 」
 角田 四郎著『疑惑/JAL123便墜落事故』 

TV  山の上で記者「今、自衛隊(自衛隊曹官)
が、整備団(日航整備員の先着部隊。 日航整
備員偽装) に何かを話しかけています。一寸
聞いてみましょう」「何やら妙な事を話して
います。 整備団が、墜落現場から、何かを
運び出そうとしていますが、飛行機の残骸で
はなくて、ロケットの残骸みたいの様です」

自衛隊指揮官「これは、飛行機ではなさそう
だ。 どうもロケットのみたいだな」それで
「証拠隠滅の現行犯」として逮捕連行されま
した。


 事故現場からのオレンジ色の回収物は

事故直後の8月14日、産経新聞記者が墜落場
所での取材中、自衛隊ヘリが、オレンジ色の
残骸を吊り上げている瞬間を写真撮影して、
本社に送り、スクープ記事にした。 この事
態は、運輸省が知るところとなり、急遽産経
新聞に圧力をかけて事態の隠滅を図った。当
時の鹿内春雄会長は社員に「事故現場でのオ
レンジ色の残骸吊り上げ写真報道はなかった
ものとする」と宣言し、社員に厳重な箝口令
を命じた。 

機長達を緊張させ小川の注意を引いた物が
小隕石なら、飛行雲や衝撃波が観測されて
おらねばならない。

有人の飛行機ならば、そちらの搭乗者の安
否も話題になるだろうし、日航機に三十分
以上の飛行を許さなかったであろう。 

自衛隊の戦闘機に衝突された「全日空雫石
衝突事故」の旅客機の様に、事故機はすぐ
墜落していた可能性が高い。

現実味のある候補としては無人の飛行物体し
か残らない。『真実…』(279頁)