18:31 大島の30マイルウェストでエマー
ジェンシー•コールを、123便が発したの
を東京 ACCが傍受したのか?

そうならば、123便の位置は、西伊豆町
になり、事故調の航跡図では、駿河湾
渡り焼津市付近の時間帯となりますから
、齟齬をきたします。

大島の30マイルノースウェストならば、
田方郡伊豆長岡町(現在の伊豆の国市)
付近になります。

河津町での目撃証言

河津町のタクシー運転手、近持 芳太郎(58)氏と
渡辺 武夫(51)両氏は河津駅前のベンチで休憩中、
海側の北東上空で雷のようなボーンという音が
した。 見上げるとジャンボ機は機体後方から
灰色の煙を出して駅の上まで水平飛行した•••
ジャンボ機は駅上空を過ぎると大きく右旋回し、
北側へ向かい、いつも見るコースから外れた。 


北国新聞85.8.13版

管制官の手記

123便は北に向かう。すでに隣の管制空域に移
っており、無線の周波数を切り替え別の管制官
に移管するところだが、そういう指示はしなか
った。  「切り替えたはずみで、無線が繋がらなく
なるかもしれない。そうしたら日航機は命綱が
なくなってしまう」 じりじりとしながら画面を
にらんだ。 他機が近づかないよう、航路から退
ける指示を続けた。富士山をかすめた123便は、
羽田のある北東に向かい始めた。

JAL広報担当者のワタナベ・マサルさん 
によると、ジェット機の垂直尾翼の一部
が、相模湾の、東京から南西約60マイル
(111km)の位置で、建設会社のタンカ
ーによって、引き上げられたという。 

渡辺氏によると、羽田空港から大阪市西部
 に、向かっており、同機が緊急着陸しよう 
として、北に方向を変えた付近の地点だっ
た。

1985年8月14日付のアリゾナ州の新聞 
アリゾナリパブリック紙 


参考


静岡県沼津市西浦江梨のダイビングハウス
経営吉原 康明氏(32)から、近くの海岸で、
1985年8月12日に群馬県上野村に不時着
した日航ジャンボ機のものとみられる金
属片が打ち上げられているのを見つけた、
と沼津署西浦駐在所に届けがあった。

調べによると、この金属片は縦1メートル、
横40センチ、厚さ7センチほどで、端が
千木れた様になり、白い塗色で内側は
オレンジ色だった。 小さなリベットが
打たれ、表面に「16」か「91」とも読め
る数字が書かれていた。1985年12月28
日頃、ハウスのアルバイトの大学生が
見つけ、吉原さんが保管していたが、
1986年1月10日に伊豆半島山中で日航
ジャンボ機の垂直尾翼の一部が見つか
ったニュースを聞いて届けたと言います。

恐らくこの破片*は
ファイアー•ビーの物です。

*知られざる事実に光をあてる
(日本航空 123便墜落事故 15)
を参照下さい。

目撃証言

沼津市平沢らららサンビーチより、北部
にある場所にて、1985年8月12日の夕方
6時半頃、日航機123便と思われる飛行機
を目撃。  当時、夏休みで複数のお友達
と、夕方まで外で遊んでいた最中に、たま
たま上空(割と近くで大きく見えたようです)
を飛んでいた飛行機を目撃しており、
「おかしな飛び方をしていた•••フラフラ
しながら飛んでいた。」と話しておりました所、
日航機123便墜落事故の事をニュースで知りました。