1883年 火山性地震で、山の一部が

崩落氷河と一緒に箱船も滑落します。


箱船の木造船体露出し、トルコ政府の地震
被害状況を、視察の委員会が内部調査し
、大区間3階を確認します。 

 20世紀初頭の雪の少ない平穏な年に、
ヘイエラニ氷河高原上、標高5000mで
アルメニア人のジョージ•ハゴピアンが
箱船を見てます。 

平底の艀船の形で、平坦に近い屋根の
中央を船首から船尾迄、構造物が建て
られて居り窓が一定間隔で48並んでました。

(ノアの箱船を管理して居たクルド人

は、48家族が、住める部屋を有して
いると証言して居ります)


左からジョージ•ハゴピアンとエルフレッド•リー


表面は石化して居り鉄砲の
弾も弾いたそうです。

パロット氷河上で、最も平坦な場所である
ヘイエラニ高原の氷河の動きは静的で、
ヘイエラニ高原下に存在する物体は、
長期間粗方、無傷で保存されました。


1900年の最初の10年間に、多くの人々が

箱船の全体が無傷で、屋根の一部が部分

的に絶壁に向かって露出しているの確認

していますが、それでも箱船の大部分は

氷で覆われていました。


ジョージ•ハゴピアン、ジェイコブ•チチ
アン、デービット•ダッチワース、ジョー
ジ•グリーン等の目撃者は、箱船が崖の端、
棚の端、又は岬に存在したと述べています。

時々ノアの箱船から、剥落した木の梁が、
水の圧力で標高の低い方へと、押し出します。

梁を1955年にフェルナンド•ナバラが、

最初に発見したのを皮切りに、1969年

には、ナバラがアメリカ人の同僚と編成

した捜索遠征部隊からも、最後2002年

12月と、2010年7月に同僚のクラウデ

ィオ•シュランツが発見しました。


手書きのノアの箱船の滑落進路図



最終的には、氷河に衝突する小さな氷河
のセラックに因って、ゆっくり流れ下る
氷河の斜面に押し流され、馬蹄形の窪地
に滑落したのです。