大人蔓木 摩理勢(蘇我 馬子)は、聖(高向王)
大君を毒殺させた舒に対して憤ります。 

摩理勢の子、大人毛人は、甘樫丘の東側の谷を

埋め石垣で、一段高くして法面を築き、平坦地

には、即位式会場に近いので、その場所に仮泊

舎を建て、甘樫丘の中腹には、城柵が巡らし、

東西に武器庫や櫓を建て、武器や人を配置して、

餘 鎌(百済 翹岐/中臣鎌足)と倭 友(中大兄/天智)

の奇襲に備えました。 


北側には、エミシ(エベス)谷の地名が

在りますが、入鹿谷では無いです。



その様にして聖大君の子、

建の即位式に備えました。


*全南チョンナム大学校の가합 심벌즈 씨 (ハプシンパル氏)

は、飛鳥に於ける甘樫丘は扶余のプソ山と同じ
働きをしたと推定、飛鳥は扶余をモデルに作られ
たと述べています。

扶蘇山


甘樫丘