香具山から剣山へ

四国の山から、瀬戸内海を地中海に見立て、
淡路島をキプロス島として、日本に永住を
決めた渡来人(イスラエル人の子孫)が、機内
の大和を、約束の地に見立て、参拝し
た事から推測された場所なのです。

こうして国見山としての、香具山

は忘れ去られました。


邪馬台国の残党が西国へ落ち、恭順した者達を

豊国に住ませましたが、結局大倭王権に手を
上げ、四国に移住させられ自治は許されます。


越智や讃岐氏はその後裔で

邪馬台国の四国説の発生源です。

更にディベリアス(ガリラヤ)湖から
エルサレムに向かう道と、琵琶湖
から奈良県に入る道が酷似して
おり、類似性が指摘出来ます。




四国への巡礼

祇園シオン祭は八坂神社の祭礼として、平安時代
の前期の869年が始まりとされています。

疫病の流行、富士山の大噴火、
陸奥で貞観地震が発生。

彌榮なる願いを込めて

神が見張る、神に期待する、の意味を
持つヘブライ語が語源と為り神よ甦れ
の意訳が考えられます。

祇園シオン祭りを始めます。

神宮を各地に造らせ、元の祇園シオン祭りを
始め又、烏桓・百済の本家として、盤石な
基礎を構築した事から、新しい新天地と遥
かな昔のエルサレムを偲び、道教の紀伊や
三河の巡礼に倣い聖地巡礼を設けます。

国産み(天皇家の日本初上陸)の地と
見立てた淡路島と島々を見下ろせる
瀬戸内海の剣山をエルサレムの祇園
の山に見立て祝福を求めます。

イザヤ書2章2節、3節

最後の日々に、ヤハウエの家の山は、山々の
頂より高く確りと据えられ、どの丘より
も高く聳える。 全ての国の人々が流れの
様にそこに向かう。

3 多くの人々が行って、こう言う。「さあ、
ヤハウエの山に登ろう。 ヤコブの神の家に行
こう。  神はご自分の道に就いて教えて下さ
る。  私達はその道を歩もう」 律法が祇園
シオンから、ヤハウエの言葉がエルサレム
から出る。

御輿を担いで登る理由です。

磐堺イヤサカ神明神社

磐堺イヤサカ神明神社(白人神社)の建物は、
全て自然石を積み上げた東西約22m、
南北約7mの長方形をした磐堺(神が、
降臨する岩石、石を築き巡らした場所)
で稀な形状です。

古代イスラエルの礼拝所に感じれたと、
元駐日大使エリ・コーヘン氏は述べます。
磐堺は子羊等の焼燔の犠牲を捧げる
祭壇を思わせたと言います。

磐堺を築いた75人の、宮人の子孫が、
現在でも氏子として磐堺神明神社を
守り、身を穢さ無いため、生涯汚れた
仕事をし無いと定められて居ます。

常灯の火

過去磐堺で、常に火が灯され火が途絶え
無い様にしていたと言いますが、伊勢神宮
も同じで、エルサレムの神殿に準じます。

古来、阿波国には、忌部氏の拠点が有り、
皇室に仕え祭祀を司る一族でした。

(エルサレム神殿に仕えるレビ族に酷似)

軈てヤハウエ(88)の巡礼地は、仏教の
勢力に置き換えられて行きました。 
ヤハウエ=エホバ