徐福は秦の始皇帝を騙し日本に渡来


斉の国、琅邪(現在の江蘇省
連雲港市贛楡県金山郷)
徐阜村の徐福は始皇帝に,遥か東の海に
蓬莱、方丈、瀛洲になる三神山が在り、
仙人が住んでいるので不老不死の薬を
求めに行きたいと申し出ました。

稲など五穀の種子と金銀・農耕機具・技術
(五穀百工)、童男童女を含む3000人を乗せ
た85隻の大船団は、木の国の滞在を経て、
三川の国(堤)六本松上陸し、御津(豊川)に
上陸しますが、船が着いた場所が檀州
(船洲)*となります。

*後世泉の国(和泉の国)へ泉州に遷座して、
三川は参州に。船で参ると為ります。

豊の国、穂の国で平原広沢の地
(豊葦原瑞穂国)です。

東三川(三河)には、神々の来訪伝承が
沢山存在しています。

石巻山(瀛洲)には、地神と刻印された
石巻山遥拝石が存在。

蓬莱島を模した弁天島が存在してます。

浪ノ上1号古墳からは、国宝級の
中国将官用環頭の両刃の剣が出土しています。

現在の豊橋市の東北に位置する牛川町には、
牛川稲荷神社(浪ノ上稲荷)の境内に立つ20
に及ぶ立石に刻まれている文字は、見聞きの
ない謎の大神の名が存在してます。

蓬莱山は古代の火山で、数千米の高さを持つ
巨大な不二山でしたが、8世紀の巨大地震で
陥没しカルデラ湖も水が抜けます。

三神山からなる三角形地帯の中心の新城に、
北と南を入江に守られた土地に、道教信奉
した倭 建(天武)天皇が都を置こうとした
場所が存在します。

大海の地は建天皇(大海人皇子)が、母の
佐富(皇極帝)が、舒(舒明帝)と結婚した
為、幼少から青年期に隠遁していた地です。