群書類従
平 助清(清盛)の配下に鷲鼻で、色黒で
瞳の緑色の者が居た事が記されています。
平 助清が、拝火教(ゾロアスター教)の寺院と
同じ向き(北西)に立て直させた厳島神社は、
倭 桜彦大君の時代から行われたペルシャ文化
の抜頭の舞を、再興してます。
抜頭の舞に使う御面は、鼻が異様に高く
色黒の肌を持つペルシャ(胡人)の特徴を
表してます。
桓武平氏系譜
邇波 塩古ー角古ー広高(秦 河勝)ー良世(禰麻呂)
ー忠叙(鋳銭長官)ー忠貞(太秦 嶋麿)ー菅原 清貞
(清公)ー吉子(多治比 真宗)
倭 弥照天皇ー高見親王(葛原親王)ー
平 高望王ー国香ー貞盛
邇波氏系蔓木族の痕跡を払拭した訳です。
烏桓騎馬民族の政敵だったが、姻戚関係
を持たねば政権中枢に残れ無かったのです。
桓武天皇の桓武平氏に
接続された平家
平 助清(清盛)の一族は、平家の公達と呼ばれて、
人気があり平家公達草紙も書かれました。
桜や梅に例えられる美貌の維盛は、桜梅少将の
渾名も有りました。