ところが、ヨーロッパの人々が1914年の
クリスマスを祝うかなり前に、南はスイス
から北はベルギーの海岸に至る700㌔以上
に及ぶ塹壕線での血みどろの戦いは、全線
に渡って膠着状態に陥っていました。

これは西部戦線と呼ばれました。ドイツの作家
へルベルト・スルツバックは1914年の大晦日に
記入した日記の中でこの戦線について触れ、
この恐ろしい戦争は果てしなく続いている。
開戦当時は誰もが二、三週間で終わるものと
考えていたが、今ではその終わりは全く見えない」

 その間に、ヨーロッパの他の場所でも、
ロシア、ドイツ、オーストリア-ハンガリー、
セルビアの軍隊の間で血生臭い戦いが繰り
広げられ紛争は間もなくヨーロッパの外に
広がり、海上でも、アフリカや中東や
太平洋の島々でも戦闘が行なわれ 4年後の
ヨーロッパは荒廃していました。

ドイツ、ロシア、オーストリアア-ハンガリーは、
それぞれ100万人から200万人の兵士を失い、
ロシアでは1917年の10月革命によって
君主制さえなくなって仕舞いました。 

ヨーロッパ諸国の王達や、彼等を支持する
僧職者達にとってそれはどんなにか大きな
衝撃だった事でしょう。現代の歴史家は、
今でも驚きを表しています。

帝政の終焉という本の中で、筆者のゴードン
ブルックシェパードはこう問いかけています。
支配者達の大半は血縁関係や婚姻関係にあり、
全員が王権の保持に献身していたのに、自ら
兄弟殺しの流血の海に身を投じたのは何故
だろうか。その結果、数人の王は殺害され、
生き残った者は全て弱くなって仕舞った」



1914年に第一次世界大戦が始まり、ヴェルダンの

戦いが終わるまでの間、フランス軍とドイツ軍が

大量に弾薬や銃などの兵器をこの地に投入し環境

が破壊され、今も約170平方キロメートルが立ち

入り禁止区域として制限され、ゾーン・ルージュ

(レッド・ゾーン)が生まれました。


地震の増加も起きて居ます。


1984年に,コロラド州ボールダーの
全米地球物理学データ・センターから
得たデータと幾つかの標準的な参考
文献を補足資料として用いた表が作成されました。

その表にはマグニチュード7.5かそれ以上を記録
した地震、又は500万(米)💲以上の金額に
相当する財産を破壊したり、100人以上の死者
を出したりした地震だけが載せられています。

1914年以前の2,000年間にはそのような地震の
発生は856回と計算されています。

ところが、1914年以後のわずか69年間に、
そのような地震が605回あったことを同じ
表は示しています。これは、1914年以前の
2000年間と比べて、それ以後の年間平均
地震発生率が20倍も増加したことを意味しています。