仙人の概念は戦国時代の末期に形成され、
同義語の神仙は、古代から幾多の人々に
よって追求されてきた理想的な存在でした。


山水鳥獣背円鏡 蓬莱山が描かれる(正倉院蔵)


戦国時代の燕、斉の国の方士によって説かれ、
燕、斉の諸王や秦の始皇帝、漢の武帝が使者
を出して海上にその神山を探させました。

道教は神仙思想と繋がる


 道教の方士の徐福は、天下の怨恨を買い
ましたが、会稽郡から向かう場合には、
大風にあって漂流し、東海三神山の
檀州センシュウに辿り着く場合も有ると
言う確率で難しい航海でした。
 


秦の始皇帝 趙政

 天皇の祖先も、東海三神山の地に
上陸しましたが、伽耶から南下して、
琉球の伊平屋島から潮の流れに乗る
必要がありました。

邪馬台国を作った倭人は、神仙思想を
持ちますが、徐福が秦から得た遠洋
航海船を持てる筈も無く、長江南岸
から刻んで朝鮮半島へ移動し、筑紫
に上陸して、高地性集落を各地に、
作りながら東海三神山の地を求め
て東に移動し、土着民の都の
句奴(毛野)国と距離を置いた
場所に国を作る事になります。
 
 縄文時代から翡翠交易路が確立されて居り
軈ては、日本海の潮の流れに乗り邪馬台国
との行き来がなされる様になりました。

丹後国風土記逸文、や浦島子伝等
古浦島説話では蓬莱山を舞台として
いる物が多いです。