蘇我氏の発生は、曽我兄弟の仇討ちから

1193年(建久4年) 5月28日に起きました。

曽我十郎祐成、曽我五郎時致
富士野の神野の御旅館に推參
致し工藤左衛門尉祐経を殺戮。

曽我兄弟は富士野の神野の御旅館に
おしかけて工藤祐経を討ちますが、
酒の相手をしていた王藤内も討たれます。

曽我兄弟の仇討ちの曽我氏から、蘇我氏を
創作してますが、蔓木 毛人の直接の子孫
では有りません。

京も震撼させたこの仇討ちは、
日本三大仇討ちの1つに含まれています。

邇波 荒田(大荒田別命)ー依網ー蔓木 垂見ー
摩理勢ー毛人(蘇我 入鹿)ー神威 毛人(役 小角)

邇波 荒田ー塩古(邇波縣君)ー角古ー広高(秦 河勝)ー良世ー忠叙ー忠貞(太秦 嶋麿)ー菅原 清貞(清公)ー是善ー道善(道真)ー惟幾ー為憲ー惟景ー惟織ー惟次ー家次ー曽我 祐家ー河津 祐親ー祐泰(祐道)ー祐成•時致(曽我兄弟の仇討)



曽我兄弟の兄、十郎に就いて
は現代迄、家系が存続してます。

河津 祐親ー祐泰ー曽我 祐成ー河津 信幸(平塚 了源)