ヘブライ系の扶餘王族

*扶餘 Fuyu ヘブライ文字 Yhwhの
中間2文字接頭語HuYhと暗号化
(フヤ/フヨ)しただけです。 

扶餘人(濊 民族 濊はYhwh の
逆読みHuiの暗号化)は 慎み深く 
年の終わりに天を祭り 盗みに償い
 姦淫死刑 義兄弟結婚をしましたが、
至極、聖書的な慣行です。 

更に傀儡政権が東アジアでも、広がり
王に罪を被せて傀儡王を交代させたり、
殺害される可能性が存在しました。

扶餘王族系譜

扶餘 解慕漱ー慕漱離ー奚斯ー于婁ー豆莫ー無胥(帯素王。扶餘滅亡)ー夫台(帯方郡で扶餘再興。妻は漢の遼東太守の公孫 度の娘)ー尉仇台(遼東郡所属)ー簡位居ー麻余ー依慮ー依羅ー玄ー蔚 

新羅国は、伐休が新盧として、発足し
尼師今(王)になり、その後を継いだ兄弟の、
末休が麻立干(王)として、国名も新羅とします。 

新羅国、金氏系譜

扶餘 麻余ー依廬ー依羅(金首露/倭 旨大君)-金 末休*ー奈忽*(新羅国) ー伐旱(未斯欣)ー智証ー真興ー真智ー真龍(大倭国渡来建の軍師。新羅人徳師)ー美祢萬呂ー是清ー清忠ー為忠ー為直••• 

新羅文武王陵碑や新羅の各種金石文など
では、新羅王族金氏が匈奴から渡来して
きたと記録されています。 

金 智証ー真興ー真智ー龍春ー春秋(武烈)ー法敏(文武)ー明之(神文)ー隆基(聖徳)ー憲英(憲徳)ー恵恭(傀儡政権滅亡。暗殺・断絶) 


駕洛(本加耶•金官伽耶) 駕洛中心地(鳳凰台)
付近に、当時海岸線が有りました。

此処から大倭に渡来してます。

魏志、韓伝の弁韓の狗邪国。 
帯方郡から西海岸、南海岸を航行
し、狗邪(慶尚南道金海 )国に至り
大海を渡り倭国の邪馬台ヤムトエ国に
到着しました。 

西南に小丘陵の鳳凰台、周長1500歩
の羅城を築いてます。

又、西北の丘陵に大成洞古墳群、北に低山の
亀旨峰が在り、天孫降臨伝説を残しています。 

駕洛国は長男の金 道に任せます。

加羅(金官伽耶)金氏系譜

倭 旨(悩窒青海)ー金 道(居登)ー成(麻品)ー
徳(居叱弥)ー明(伊尸品)ー神(坐知)ー恵(吹希)
ー荘(銍知)ー粛(鉗知)ー譲(仇衡)

 金官伽耶クムグァンカヤの王宮は、民の居住地
からは見えない高地に建てられました。



同時期に、新羅の王宮の慶尚北道慶州
キョンサンプクト・キョンジュの月城ウオルソンも民の
居住地を見下ろせる高地に造成されてます。


扶餘を滅亡させ先の稾離国名称に
近い音を持つ高句麗建国 

高句麗、高氏系譜

扶餘 慕漱離(高 慕漱)ー朱蒙(扶餘王族の馬飼。高朱蒙) ー閭達ー如栗ー高 莫來(扶余に親征。高句麗建国)ー憂ー宮(太祖大王) 、 逐成(次大王) 、伯固(咄固。新大王)ー位宮ー乙弗利ー釗(故国原王。371年百済に殺された) ー伊速ー談徳(國岡上廣開土境平安好太王[広開土王])

鮮卑の大人である慕容 渉帰の子、
大人の廆に扶餘王の依廬は破れ、入水自殺。

依盧の子、依羅が立つも廆に再度破れます。
配下の烏桓 句(百済 近肖古)と契約し、
扶餘の領地を割譲して、346年に百済を
建国させ、扶餘を五男玄に任せます。

同年、依羅は衆三千を率いて海を越え、
倭人の傀儡王となり、故地稾離コウリの
奪還を目指します。

倭国の倭氏系譜 《vol 28(5-11)を御覧下さい》


倭 旨(扶餘 依羅・金 首露)―仁―讃―隋
(平西将軍)―済―興―明―峻―聖―建
(天皇・天武帝)―稚建(高市皇子)―長屋
―長宗―安長―是長・・・ 

高句麗国 高句麗の読みは、ヘブライ系
扶餘王族の間では、ヘブライ語でコル・
ニドライ(全ての誓い)の意味です。

大人や先住民には漢字での
意味合いで理解されます。

旧唐書の百済伝の冒頭文

「百済は夫の別種である」

中華に国を討たれた烏桓騎馬民族で、
烏桓王家は庇護して暮れた扶餘王族と
契約したので、割譲された馬韓の故地
である馬韓の月支国に建国したのが、
真相です。

中世天皇家の系譜

烏桓 古尓―責稽―汾西―餘 句(百済 近肖古)
―須(近仇首)―洪(枕流)―信―映(腆支。妻久尓辛)
―毗(毗有)―昆(倭 武)―倭 幼武(欽明帝)―敏(敏達帝)―舒(舒明帝)―友(天智帝。称制)―湯原―榎井(光仁帝)―弥照(天皇)