資料編 1で書いた地震に
関連した当時の記録の纏め

藤原 文忠(不比等)とその子等が、
倭 武大君以来人民を治め易く
する為に、広げた景教を使い
自分達の望む政策を、押し付けて行きます。

嫌気がさしていた倭 桜彦大君(聖武天皇)
は、反発して行きますが、実際の遷都は、
二度だけです。

 740~744年 恭仁京時代 
746年~平城京時代 

大(王)の君として、殺害を
免れる為に、私邸は転居
して居ります。



745年 
4/25~27 一晩中地震が3日間続き甚大被害。
 5/1~10.16.18 巨大地震 巨大な地震で、海中
から隆起した土地が何度も沈んだり、隆起
して最後は陸地化する場所も存在しました。

愛知県みよし市では、陥没、隆起を繰り返した
証拠の虹色の土が、江戸時代迄出たそうです。

 9/17 倭 桜彦大君は、難波宮に於いて悩みます。
9/23 天変地異の責を感じて3000人に出家させる。
10/5 盧舎那仏像顕詔 仏教の奴子宣言を出します。
10/15 万代の福業を治めて、動植悉く栄える
世にしたいと政策の方向を示します。

12/15 恭仁京の武器を平城京に運搬。
12/27 大倭国から大養徳国へ改名 

746年~平城京時代 

747年 9/29 鋳造開始 
11/7 国分寺•国分尼寺発願建立詔 
 宗教革命が始まりました。