「太 安万侶(安萬侶)と言う人物の墓誌が出土

して居り、王の安萬侶と言う読み方です」

と、14(5-6)で書きましたが、
小野氏も実際には王の立場です。

王の立場から卑しめられました。
その理由の逸話を紹介します。

大野(王) 大樹は、 倭 敏大君の君(妻)
になろう筈の妹、小島子 と近親相姦で
生まれた子を見た敏大君に、殺害されそ
うになりました。

武蔵国造になろうとしますが、
敏大君に阻まれ 失敗します。 

小杵と呼ばれたと、有りますが、
此処から小碓(臼)命 が創作されます。

異母兄は大野 広人、弟は小野 毛人
近親相姦の代償として、子に伸し掛か
って仕舞い、妹子と充てられて仕舞います。

実名は小野オオノ 毛人(小野 妹子)です。
冠位は大錦上で、朝臣を賜ります。





王に伴うの称号が付く氏族名の廃止

倭 弥遠(淳和)天皇時代に、 大物主系大伴氏が
伴氏になり、 蔓木氏が、多氏に変えられます。

平安時代の初め頃、淳和天皇の諱が
大伴だったため、大伴氏は「我々が
皇族の諱を名乗るのは畏れ多い」
となり、伴と名乗るようになったと
説明されています。

源 神野(嵯峨)天皇の血統から

童名=幼名と、諱=実名(成人)を区別し、
実名に嘉字(縁起の良い)を使用しました。

天皇の童名=幼名と、諱=実名(成人)を
区別したのはこの時代からと判明します。

和風諡号 倭 弥照天皇 (桓武帝)
和風諡号 倭 高彦天皇 (平城帝)
和風諡号 倭 弥遠天皇 (淳和帝)
諱    源 神野天皇 (嵯峨帝)
諱    源 正良天皇 (仁明帝)

北畠 親房の神皇正統記には、日本紀30巻と
併せて読む事が出来た系譜1巻も桓武天皇が、
「過去に臣が天皇になっている。正しくない。
従って焼き捨てよ」と焚書にした史実が、
書かれています。

事実は合議制の傀儡政権で、天皇は
王の君で有り、 臣下で、王は大人と
呼ばれた土着の豪族でした。 

傀儡王は政策に失敗したら
殺されて仕舞う運命で
天皇殺しを誰からも
咎められていない理由です。 

蘇我氏の横暴が語られたり、
権力欲に、溺れ親族を殺した
と書かれていますが、
事実を捻じ曲げています。

又、蘇我は鎌倉時代の初期曽我兄弟の
仇討ちが京迄、 伝わり創作されています。

蘇我 馬子の前身から創作された境部 
摩利勢と蘇我 馬子の同士討ちを記紀
の中で、させられています。

日本紀や古事記も、倭 弥照天皇の時に
改編され、記述に合わせ、源 神野天皇
(嵯峨帝)の御世に、本格的に改竄され
始める備えが為され、宮廷内で延々と
改竄されて行き日本紀は日本書記と
呼ばれる様になりました。

公文書も蔵人所(機密事項取扱)が
設置され其所で行われます。

倭 弥照天皇は、非日本的な天皇で
在り自身の家系が即位する為に、
謀叛や反乱、暗殺、魘魅事件を
起こし流血で満ちていました。

 僧侶、豪族や民衆に退けられ、
他の要因も重なり、遷都せざる
を得ない状況に追い込まれ、
長岡京を捨てて居ります。

其処で、預言者のイザヤ書の預言を
我々が(成就した)と、正当化する為に、
その書からの事象で名前が付されています。 

天地開闢は
 天よ、聞け。地よ、注意を払え。 
ヤハウェが話した。 「私は子供 達
を養い育てた。 しかし、彼等は
私に反抗した」イザヤ1章2、 7節

から取られています。

伊弉諾イザナギ、伊奘冉イザナミが天の 御柱の
周りを 伊弉諾は左から、伊奘冉は 右から
回り、二人が、出会ったところで先に
伊奘冉が、 「あなにやし、えをとこを」 
次いで伊弉諾が、 「あなにやし、
えをとめを」 

意味 
なんて素敵な男性、私と結婚してください 
なんて素敵な女性、私と結婚しましょう 
で結婚した話しになってます。 

ユダヤでは、真ん中に、綺麗な花で飾った柱が
置かれ 花嫁と花婿が、その柱を巡り回って、
出会った所で、 結婚が成立します。 

ヘブライ語で「あなにやし」は、アナ・ニャサ
(Ana-nisa)「私は結婚する」という意味に
なり、宣言した事実を反映してます。 

伊弉諾、伊奘冉に就いては記紀の内容に
沢山 取り入れられている預言者イザヤの
預言から、 伊弉諾、伊奘冉へと男女の
名前が、創られています。 

火之迦具土(ヒノカグツチ)とは 
「貴方達は岩の間に入り、土の中に
身を隠せ。 ヤハウェの恐ろしさ
と荘厳な輝きの故に」 イザヤ2章10節 

イザヤの預言を、自分達
に当て嵌めさせて行きます。
 イザヤ 60章1~2節 「女よ、立って、光を照らせ。
 貴女の光が来た。ヤハウェの栄光が貴女の
上に輝いている。 2 闇が地上を覆い、濃い
暗がりが国々を包む。 しかし、ヤハウェが
貴女を照らし、その栄光が貴女の上に現れる」 

以上の聖書内容が、天照大神の創作に繋がります。 
実は桓武天皇の名前は、倭 弥照 の弥照すは、
ヤハウェが照すの意味です。