香具山の金(鉄)
扶餘王族が、食事を提供(餐)された
伊勢海に浮かぶ枇杷島(朝日遺跡。
浮野)方面の海から天香具山が、
夕日に輝く情景で、場所を示す
具体的な説明です。
朝日は、朝日遺跡です。環濠集落
東海地方は岐阜県土岐から朝日へと、
邪馬台国系弥生人が展開して行きます。
倭 武大君の宗教改革で、邑も捨てられました。
ライン上に黄金伝承が
朝日射す夕日輝くその下に
鳥の松いけたる金は五万両
西山製鉄遺跡
下原古窯は、味美、白山、
御旅所、二子山古墳に供給。
猿投窯との間を技術者往来したと
見られています。
須恵器窯が背後高台に。
金谷浦の地。現桃花園団地一角。
西山の畑地から鉄滓 スラグ
が出土(地表面採取可能)して居ります。
磁石使用で、相当量採取可能だそうです。
新日本製鉄(株)名古屋製鉄所依頼の分析所見
酸化鉄が多く。製品としては、
玉鋼はチタンを含み強靭。
鉱滓残留。亜鉛Zn、銅Cu、
マンガンMhと砂鉄成分酷似
から原料は砂鉄です。
朝日射す夕日輝くその下に
黄金三升。
場所は、下街道周辺の地名に
庄名に、鍛冶屋敷。
松本、神明に金地蔵。
出川付近、金カ口。
西尾、鋳物師洞の字名が存在して居り
此処ではかつてマンガン鉱山が稼動
してました。
朝日射す夕日輝く場所に金の縄
と銀の宝物が埋めてあると伝える
狩山戸製鉄遺跡。
場所は、小牧市桃花台丘陵。
高根のホウトク産業付近に過去存在。
白瓷系土器破片も出土しましたから、
同じ窯を使い製鉄(800℃から還元)した
可能性が有ります。
古窯と製鉄址の併存が見られ、以外に
簡単な設備で鉄を作っていたのかも
知れません。
天香具山麓の高蔵寺
高倉明神→高倉寺→高蔵寺と変遷
高倉山から変更されると、
南東の水晶山が高座 タカクラ 山と付されます。
高森山(山頂は古墳)で、高座山の麓に五社大明神
に、天目一箇 アマノマヒトツ 神(金属製鉄神。砂鉄使用
製鉄)を祭ってます。
高森山には、マンガン鉱山(狸掘採掘跡現存)が
採掘出来、鉱山跡に接して鉄分の濃い分厚い
褐鉄鉱(別名鬼板層•高師小僧。水酸化鉄の
鉱物集合体)の脈が浮出して居ります。
山下(高蔵寺高校一帯)造成中に、沢山の
高師小僧(褐鉄鉱)が、在り露頭としては
かなり大きいそうです。
製鉄実験で、充分用を成す事を証明
(褐鉄鉱…鉄素材)
高蔵寺中学校裏側で過去、豊富な砂鉄層
が在り磁石で、幾らでも砂鉄が採れたとの事です。
多治見地区(弥勒山=天香具山)にも黄金(鉄)
伝承存在(金山彦の石碑)が有りました。
こんな逸話が記紀に掲載されていますが
崇峻天皇の元に猪が献上され、刀を抜いて
猪を刺し、「いつかこの猪の首を斬るように、
自分が憎いと、思っている者を斬りたいもの
だ」と言いました。
これを聞き伝えられた蘇我馬子は、危機感を
覚え、配下である東漢直ヤマトノアタイ駒に暗殺を
命じたのでした。
実際には
二代目の尾治国造に蔓木 垂見(蘇我 稲目)、
三代目に蔓木摩理勢(蘇我 馬子)なりますが、
製鉄を生業する事に為ります。
そこを倭 峻大君(崇峻天皇)が、大倭王権の
直轄地として接収し、蔓木 摩理勢を大倭国
の国造に異動させた為に、大人の摩理勢に
殺害されたのです。