古代伊勢海の痕跡、船来山古墳群。


南斜面に位置する272号墳と、東西の19号墳では、

硝子製の蜻蛉トンボ玉と雁木ガンキ玉が出土していますが、

中国製品で、古墳時代に船来山に存在している事、

自体が謎めいてるそうです。


しかし船来山の南まで、伊勢海が入っていた

ならば理解に難しい事は無いです。


船来山(116.4m)古墳群 (岐阜県本巣市糸貫)

の在る大地、平地は凡そ標高30m 3世紀

中頃から、400年以上に渡って古墳が

造営されており、確認されている

古墳の数は290基と東海地方で、

最大級になります。


方形周溝墓や土壙墓に分類が3基、

前期古墳が20基、中期古墳が3基、

後期古墳が202基在り、4世紀後半

迄は主尾根に造営し、以降は支え尾根

や斜面に造営されています。


墳形が、円墳、方墳、前方後円墳、

前方後方墳が揃っています。


出土品には、鉄刀、鉄剣、鉄鉾、

短甲、馬具、鉄鏃や銅鏃の武具。

鎌、鉈ナタ、鑿ノミや鋸、銅鏡。

土師器、須恵器、勾玉、管玉

切子玉、算盤玉、蜻蛉玉、雁木玉

石釧、耳環等の装飾品。円筒埴輪、

朝顔形埴輪等が在り豊富な品物が

揃っており、正に渡来人が上陸した

地であると確信を持てます。

古代伊勢海

現在の岐阜県本巣市の下福島の一本松に、
潮の流れに乗り現在の韓国から、沖縄の
伊平屋島経由で、土着豪族に招聘された
扶餘王族が渡来、上陸して来た土地です。

闕史(欠史)八代の孝霊天皇の諡号
大倭根子日子國玖琉命
詰り大倭根子(初期天皇の扶餘王族)
は、日子國(大国主の国)に玖琉(来る)
何処から来るのか?逆さ読み琉玖(琉球)
詳しくは、伊平屋島です。

日本近海を流れる黒潮の海流図


此処から塩見公と呼ばれた御春(見張る、
4月春に渡来) 豊玉が梶(舵)を取ります。
尾張水軍の統率者になります。

尾張水軍の統率者系譜
倭 旨ー御春 豊玉(塩見公)ー小舟ー安山ー倭 宜坂

御春宜坂は、倭に復姓し大倭国造の初代になる。
御春水軍は、初代尾治(尾張)国造の
尾治 栗原に移管されます。

古墳時代頃には、三野と呼ばれ、
扶餘王族が、渡来して上陸し産土の
地に、定めた際に御野と読ませた様です。

国生み神話 磤馭慮オノコロ島

古代では「の」が「ろ」なので
おのこので御子(皇子)の島に成る

御野(三野、美濃)国が天皇家の
産土の地となります。

6世紀の国造制度が、出来ます
と、天皇一族が三野国造になり、
其の後裔が忌部氏になります。

安八麿(現在の安八町)の海とも

古くは味蜂間と書かれた其の場所は、
安八麿アワチマと書く様に成りますが、
八人の王族が、渡来した事を証ししてます。
(八王子やハ柱神も同意義です)
味蜂間から出た蜂子とは、天皇家の子の意味です。

安八麿(淡路島)
国産み神話の神秘の島

古事記と日本書紀に拠ると、世界で最初に生まれた
のが、淡路穂狭別アワジノホノサワケノ島 即ち淡路島です。

国産みとは、大倭豊ヤマト王権が誕生する切っ掛けに
なった人達が、上陸して行動を起こした事を意味します。

三野氏は、安八麿の海を眺める、三野国で玉造、軈て
三野国造となり、幣(幣帛)に、祭具の製造・神殿や
宮殿造営に関わった氏族になります。

倭 弥照天皇(桓武天皇)の時代に、良質の麻が
採取出来る四国に移動して吉野川中流の南岸、
麻植オエ郡、西麻植、麻植塚、忌部や忌部山の
地名が存在し、国名も阿波国とします。

同音の安房国も、阿波国から移り住んだ人々が
開拓した事から名付けられています。

扶餘王族は、345年の1人、346年の4月の7人渡来で、合計8人(八王子・八柱神)を運ぶ事に為った船団(金船が貴船に変化)が、倭 得玉(345年9月)倭 旨、倭 美穂、三野 倉富、倭 仁、御春 豊玉、倭 豊日、日奉 稲日と一本松(船木郷)に上陸し、春来(鹿立郷)で整列し、軽海(安堵郷)で地平線を眺め出発します,
その後に就いても、後程触れて行きます。

斎部(忌部)氏系譜

三野 倉富ー佐岐ー比古ー那美古ー達奈弖(三野国造)ー豊富ー萬呂ー子萬呂ー鳥萬呂ー文山ー季長ー斎部 浜成ー広成ー茂藤ー春光ー頼友ー頼親ー親光ー親澄ー織田 親真

倭 継大君(継体天皇)の御手植の
薄墨桜も、岐阜県本巣市根尾に
存在しております。

日本書記は越国より、古事記に、淡海国依り呼び出さ
れたと有りますが、実際には、味蜂間の海の在る御野
(三野)国からです。

503年には、倭 継(男大迹オホト、継体天皇)は、
忍坂宮に入ってました。

倭 継大君(継体天皇)の生誕地は、近淡海国
(淡海)は近江だと言われています。
遠淡海国は相摹サガミ(相模)です。
上手に安八麿アワチマから引き離してます。

近淡海国(淡海)は近江です。遠江国は壬申戦後に、
大倭王権新規加入国で、遠淡海国です。
遠江海は、遠江国府(静岡県磐田市国府台
見付で潟湖が存在して居りました)

越の国(福井県)で育つたとの伝承は、
別人の話ですから、その点も追々
書いて行きます。