パリ五輪が開幕した。

 

大手メディアも、史上最悪の為替差損に見舞われる国内情勢には目を伏せ、日本の活躍や愛国主義を鼓舞する報道だけに終止し、こぞって自分達のパトロンとなっているスポンサーのCMを垂流しする。

 

毎土壁へ記する思い。特に故安倍首相ら一派らが、自身の私腹を肥やす目的で1936(昭和11)年のベルリンオリンピックをモデルとしたと言われる「東京2020オリパラ」で、当時のナチス政権も真っ青の「愛国主義ポルノ」を展開した。批判的なメディアの徹底的な排除がなされ、大手出版社KADOKAWAらによる五輪予算ネコババなど、不正が明らかになったのは、安倍首相が奈良で銃撃死を遂げた後だった。

 

常に思う。「正常な愛国主義など、今の世の中には存在しない。」

必ずその裏側には、利権誘導のどす黒い悪だくみが、存在している。カネが集まるところには必ずと言って良いほどそうした傾向がある。

 

オリンピック自体が1984(昭和59)年のロサンゼルス大会を機に商業化し、ワールドカップと大して変わりなくなったと言われる中、前期の様な傾向は高まり、その前に開催された1980(昭和55)年に開催されたモスクワ大会では、政治介入と愛国主義ポルノが顕著となった。その時点で五輪開催の意味は無くなったと言っても過言ではない。

 

メダルの獲得数が、いわゆる国対国の「代理戦争」勝者を決める基準となり、数多くの競技にプロ選手が参加するなど、かつてオリンピックの父・クーベルダン男爵が主張した理想とは大きくかけ離れすぎている。

 

下らない「愛国主義ポルノ」に組する競技者が、激増した事も、オリンピックの公平性欠落が加速した背景にもなっている。

 

いま放映を巡って喧々諤々の議論が湧き起こっている「24時間テレビ」の如く、何時かオリンピック開催の是非の議論が巻き起こる事を期待したい。