英語圏で使われる皮肉として、マッチで火を着け、ポンプ(水)を掛けるという「利益を得るため、わざと問題を起こし解決策を提示する人」を例えて「マッチポンプ」という。

 

昨今では、この秋のアメリカ大統領選挙に、性懲りもなく再び出馬する予定の利己主義者:ドナルド・トランプ氏を例えて言うなら「マッチポンプ」と言えよう。

 

さて我国の政局に目を向けると、いよいよ「七夕決戦」として、公示3日前となった東京都知事選。結果次第では、20年以上続いた自公俗物主義者政権が、音を立てて崩れていく歴史的瞬間を見れる訳だが、昨今の出馬表明を巡る話題を見ると、正しく「マッチポンプ」が雨後の筍の如く出現している。

 

タレント候補しかり、迷惑系ユーチューバーも執行猶予中の身でありながら出馬を表明している。どっかの地方自治体の首長の座を捨てて、都知事選に出馬する俗物主義者。驚いたのは、先の衆院東京15区補選で公職選挙法違反で逮捕された「つばさの党」黒川投手まで立候補を表明し、立候補が成立する見込みだと言う。

 

今朝のテレ朝・朝ワイドでも、この問題が取り上げられた。大正時代から「売名行為抑制」のため導入された預託金制度も、今や300万程度なら「得票率1%に届かず預託金を没収されても、安くつく宣伝料。」と、民主主義制度を逆手に取った「マッチポンプ民主主義」が横行する始末。

 

今国会で、いわゆる「アベノウラガネ」火消しに東奔西走した岸田首相だが、こうした民主主義政治の根幹に関わる問題の掘り下げ等、全く手が付いていない。要するに、この国や国民は「民主主義とは何たるか」を全く考えず、選挙=お祭りとしか受け取らなくなったせいであろう。

 

そうした「マッチポンプ民主主義」の片棒を担いでいるのは、ご存じマスゴミである。当選しようがしまいが、立候補した候補者が、もし当選すれば、どのような関係者と利害関係にあり、どのような政策を闘争としているのかなど一切調査報道しない。まるでMLBの試合が如く「〇〇党惨敗」「〇〇氏、比例で復活当選」など、勝ち負けばかりの報道に終止。これでは、有権者も真剣に政治を考えるワケがない。要は、自分の利益を代表する関係者の勢力・声が国会で大きくなる事だけにしか興味がない。ますます「マッチポンプ民主主義」が加速するだけだ。

 

いま「政治の品格」が問われる中、こうした「マッチポンプ民主主義」是正を求める世界市民の声は上がらないのだろうか。抑止力向上を目指し、預託金を引き上げるだけでは、かつての「金満事勿れ政治」にもどってしまう。立候補資格に制限をつければ、憲法で規定されている「政治参加の権利」「言論の自由」を侵害すると叩かれかねない。しかし日本国憲法が制定された時、こうした「マッチポンプ民主主義」の跋扈は、予想されていなかった。しかるに、現実に応じた対策を「公職選挙法」により打たねばならないのだ。こうした問題定義が逆に上げ足を取られ日本国憲法の「個人の権利・自由の制限」へと言動を誘導されては元もこうもない。

 

難しい問題だが、「マッチポンプ民主主義」を是正するには「公職選挙法」改正が喫緊ではあるが、同時に「政治家要綱=政治家になるためには、こう言う事をしないとなれない」というものを制定しては、どうだろう。

 

曰く

「地方自治体首長に立候補するために、自治体議員を3期12年以上勤める必要がある」

 

曰く

「将来立候補可能年齢に於いて議員(国政・地方を問わず)を目指す者は、学生時代に一万時間以上無償ボランティア活動に参加しなければ立候補出来ない。」

 

そうした規定も、今後必要になるのではないか。さらに、候補者への公的補助の一切の廃止(政見放送の放映も含む)、ネットを含む公共放送上での候補者宣伝及びニュースソースとしての報道禁止、選挙運動期間の短縮(現状3~4週間⇒概ね1週間)など、方法は幾らでもある。「マッチポンプ民主主義」横行への、機動的対処を政治に求めるのも、世界市民の行動の一つとなって来るのではないか。