時は1972(昭和47)年、故田中角栄元首相による「日本列島改造論」で、日本中が沸き返ってる折、一人のジャーナリストが果敢に故田中元首相の金融乱脈にペンで挑んだ。後に当時「戦後最大の疑獄」と呼ばれたロッキード事件が明らかになる夜明け前であった。

 

そのジャーナリストの名は立花隆(たちばなたかし)氏。東大文学部卒業後に文芸春秋社に入社。いわゆる「文春砲」を担いで東奔西走。そして、ロッキード事件と向き合う事になる。

 

ロッキード事件が一段落すると、立花氏はその博学さ・知識量の豊富さから「知の巨人」と呼ばれ、マスコミに引っ張りだことなる。驚くべきはその的確な受け答えと、知識量の豊富さ。文学部出身でありながら、政治経済・宇宙工学・先端医療、果ては歌舞伎町のキャバクラ嬢の話題など、人を飽きさせない豊富な情報量と、納得いく解説で話題となった。

 

その立花氏が2021(令和3)年に亡くなられてもう3年。命日が4月30日であることから、紹介をさせて貰った。

 

そう言えば、立花氏が第一線を退いて以降、立花氏を超えるような「知の巨人」に、巡り合っていない。敢えて言えばタモリ(森田一義)氏ぐらいか。

 

今のマスコミに登場する「識者」と呼ばれる連中は、自分の守備フィールド範囲では、朝まで平気でしゃべる程知識が深い。だが、立花氏の様に、幅広いフィールドを求めると「そこは自分の領域外なので」と逃げ出す。別に深く解説は求めない、にも関わらずだ。

 

自分の知りうる範囲で話し、後は「講釈師・見て来た様に・ウソを言い」で構わないのだ。「知の巨人」とは、「一転深堀の知識」では、やって行けない。浅く、だが幅広く知識を得て、後は「社会通念上」「常識上」で判断して話せるようになればいい。

 

私は学生時代、学籍は「文学部」所属だったが、法学部・経済学部、果ては、工学部の授業にまで潜り込んで「知の刺激」を味わった。大学には年間高い学費を払っているのだから、どんどん活用すればいい。別に、文学部の授業だけ受けなければならないという決まりはない。

 

不思議な事に、私が卒業した同志社大学という学校の学生は、私と同じ考えを持つ人間が多かった様で、ある時「人生に疲れた」と工学部の学生が、神学部の聖書の教養課程の授業に潜り込んでたことを知って、腰を抜かしたことがある。

 

同志社の神学部の話で思い出したが、そう言えば神学部を卒業し、後に霞が関のエリート官僚を経て評論家になった佐藤優(さとうまさる)氏の事を忘れていた。彼もある意味「知の巨人」かもしれないが、北方四島利権に絡んで、日本維新の会・鈴木宗男議員の片棒を担いだ利己主義者と言った方が正しいと思い、「知の巨人」としては紹介しなかった。

 

「知の巨人」なき今の世は、くだらない専門話・金儲け話を朝から晩まで聞かされるようになってウンザリ。気の利いた「ウィット」をくすぐられ、思わず吹き出し笑いするようなことが少なくなった。そんな世の中が続いて10年近く。そろそろ「ウィット」に満ちた「知の巨人」に脳ミソをくすぐって貰わないと、気がヘンになりそうである。