去る4月6日、群馬県高崎市の上信電鉄の踏切内で、市内在住9歳の女児が、電車にはねられ死亡する痛ましい事件が起きた。女児がはねられた踏切は「第四種踏切」と呼ばれ、警報機も遮断器も設置られず、正に「自己責任」の下に線路を渡るもので、日本全国の鉄道事業者にはこの類の踏切が、実に2000か所以上あると言われる。

 

この事故を受け、高崎市当局は16日、25年度以降予算化をし、5年を掛け上信電鉄を始め市内にあるいわゆる「第四種踏切」を警報機・遮断機付きの「第一種踏切」へ切り替えると表明した。

 

遅い・・・遅すぎる(十万石饅頭ではない)。何故5年もかかるのか?。色々各方面へ取材をしたところ、踏切設置一つとっても県の許諾・国交省の許諾など幾つもの関門を通る必要があり、許諾される件数も、年間100件程度しかないと言われている。

 

人の命が危険に晒され、現に一人人間が死んでる非常状態にも拘らず、何ともこの体たらくさ。かつて、東武本線(スカイツリーライン)の竹ノ塚踏切で、踏切種の操作ミスから複数名の犠牲者を出す大惨事があったが、この後進められた竹ノ塚駅周辺の高架事業は、間髪入れず進み始めた。要は田舎はどうでもいいって事なのか?。

 

「人の命は地球より重い」かつて日航機・ダッカハイジャック事件で、犯人グループの要求に応じることを表明した時の福田赳男首相はこう言った。

 

日本は昔から「人一人が犠牲にならないと、行政は動かない」と言われている。今では街中で当たり前に見られる様になったAED(体外除細動装置)でも、かつてカナダ大使館でスカッシュに興じていた高円宮親王が心室細動で倒れ、当時カナダ大使館が独自に設置していたAEDが「日本の法律に則った医療機器でない」と使えず、結局お亡くなりになるという事がきっかけとなり、AEDの医療機器としての許可・公共施設での設置義務化が一気に進んだと言われる。人一人が死なないと、行政は何もしないという最たる例である。

 

今回の上信電鉄の事故には、もう一つ大きな闇がある。それは「地方交通線」が踏切一つの更新すら出来ない危険な経営水準に陥ってるという事だ。

 

今年の4月、滋賀県最大の私鉄・近江鉄道が「上下分離方式」のなった。鉄道施設を滋賀県を始め沿線地自体が共有設備として保有し、近江鉄道が県や沿線自治体の委託を受け、旅客運輸事業を行う仕組みだが、かつての「国鉄民営化」の思想とは真逆の事が、いま地方を中心に巻き起こっている。これも、近江鉄道が24年連続赤字状態であることを、滋賀県当局や沿線自治体が「見て見ぬふり」の果てに、廃線騒動の結果落ち着いた「落し所」である。

 

国や行政は、一体「誰に顔を向けて」行政運営をしてるのか?。東京湾岸のタワマンに住む金持ちや労働貴族だけ甘言を垂らし、そのツケを我々世界志民に押付けるだけではないか。そんな行政に「払いたくもない・使い道が全く分からない」高い税金や社会保険料を払う必要があるのか?。

 

日本国民の半数以上が、今の国や行政に対する信頼を「していない」とある海外シンクタンクの調査で明らかになっている(私もその一人)。要するに「行政は最大の奉仕者」という言葉を忘れ、小金稼ぎにだけ勤しんでる姿しか見えない。我々日本国民も、行政への正当な評価(余計なコストカットばかり要求する)をしていない事も、こうした事態を招いて津大きな原因だ。

 

かつてこうした構造を、筑紫哲也氏は「ニッポンのガン」と評した。「ニッポンには無数のガン細胞がある。こうしたガンを早く取り除かねば、ニッポンは大変なことになる。」と予言されたが、正に今「ニッポンのガン細胞」が人の命を奪い、人々を貧困で苦しめる大きなきっかけを作っているのかもしれない。

 

どうすれば「ニッポンのガン細胞」を取り除けるのだろうか?。国民が大度言う団結して、納税拒否運動をやるべきなのか?。余りに根は深い。