4月に入り、新しい社会制度の改革(改悪)がスタートしている。

 

その中で、私の普段の仕事に関連して、新しい制度がスタートしているのは、先週の月曜から京都・福岡などで始まったいわゆる「ライドシェア」。要するに二種免を持たないトーシローが「合法白タク」営業を始めた事である。

 

今からさかのぼる事半世紀近く・・・いわゆる「個人タクシー」の導入を巡っても、国論を二分する議論が交わされた挙句、なし崩しで「個人タクシー」の営業が認可される経緯があった事をご存じだろうか。

 

その「個人タクシー」も、現在供給過多となり、毎夜霞が関官庁街を「個人タクシー」が白いとぐろを巻いて客待ちしている。現在、東京エリアなどでは「個人タクシー」の新規開業(ギョーカイ的には増車ともいう)は認められず、高齢になった個人タクシー事業者から免許を引き継いで、新たに開業する「譲渡開業」の形式しか認められていない。

 

いわゆる「コロナ禍」で、東京地区だけで200両近く個人タクシーが廃業しており、インバウンドによるタクシー需要の回復から「個人タクシーの新規開業を認めるべき」との声が挙がる一方でなし崩し的に導入された「ライドシェア」。

 

日本国内で、在留外国人により違法操業が先行して行われていたのを追認する形となったもので、河野太郎・小泉進次郎などヘゲモニズム経済信奉者の後押しも大きかった。

 

だが、我々モビリティ従事者の見方は極めて冷ややか。「4~5年もたてば『ライドシェア縮小論』が火を噴く」と言う見方が大半だ。

 

かつては残業会社員で、タクシーが足らない状況になった都心も、これまた「働き方改革」とよばれる真逆な政策のおかげで、空車タクシーが徒党を組んで爆走するシーンを多々目にするようになった。その一方で、練馬・世田谷・目黒と言ったエリアでは、早朝空車タクシーが足らないと、一部法人タクシーの中には報奨金を出してまで「そのエリアの無線を獲りに行け」など無茶振りするところまで現れている。

 

私から見れば「需要と供給のバランスが、完全に崩れている東京のタクシー需要をコントロールすべきは国や行政の指導による介入が先。」と考えるが間違いだろうか。

 

例えば、故郷・京都で外国人旅行者の急増で市バスに市民が乗れないという苦情が相次ぎ、交通局が苦肉の策として市バス・地下鉄一日乗車券を廃止したりするなどの騒ぎが起きている。そうした騒ぎになる前に、何故京都市当局が外国人急増を抑えるために、いわゆる観光滞在税(例えば外国人が京都で一泊する際に一人10万円を徴収するなど)や、過去騒ぎになった古都保存協力税(京都市内の有料公開寺社仏閣に税金を加算する⇒寺社の公開拒否騒ぎになって中止)を外国人対象に復活するなど「京都への人流抑制策」を行うのが先ではないかと考える。

 

東京の一極人流集中抑制のためにも、公道でF1レースやるなどのヒマがあったら、郊外からのタクシー通勤需要確保のためのタクシー夜間待機場の整備や、都内宿泊外国人旅行者に対する滞在税徴収などを財源に、「世界一最悪なタクシー降車場」と酷評され、実車タクシーの流入がままならない東京駅・八重洲口のタクシー降車場の拡大整備などをやったりすべきではないか。それでも、旺盛な個別モビリティ需要が収まらないなら、その時初めて「ライドシェア」導入の議論を始めるべきである。

 

実は、この「ライドシェア導入問題」の陰である事が囁かれている。トーシロー運転手による事故激増と言う話だ。業界は違うが、トラック業界では「白ナンバー」のいわゆる「トラック野郎」達が幅を利かせていた。「緑ナンバー」正規業者の適正運賃の引き下げ口述に使われ、今日の「2024年問題」の引金を引いたともいわれる。しかも、こうした「白ナンバー」トラックによる重大事故が後を絶たず。有名な話となれば、半世紀以上前に東名・厚木インター手前で「白ナンバー」トラックが飲酒により渋滞に突っ込み、巻き込まれた乗用車に乗っていた幼い姉妹2人が焼け死んだ悲劇も起きた。

 

今日、自動運転の進展やアルコール検知器の整備が進んだの云々言われ、「ライドシェア」や「自動運転タクシー」の導入が言われて久しいが、「自動運転タクシー」もようやく来年東京駅~青山一丁目の区間に限って運行が始まると言う。それでは、BRTや地下鉄と大して変わらない。細い街区の自宅前まで乗せていくと思ったら、そんな様。これでは、ますます個別モビリティ従事者が足らなくなる。

 

何故タクシー料金の大幅値上げや乗務員などの待遇改善を、国・行政、ギョーカイ団体が一丸になってやらないのだろうか?。東京都内の平均的なタクシー乗務員の年間賃金は、税込み¥430万程度だ。都内の一般労働者の平均賃金より3割低い。

 

「ライドシェア」導入のもう一つの目論見が、ギョーカイ内で囁かれている。賃金の抑制とクビを簡単に切れる事だと。

 

と言うのも、いわゆる「コロナ禍」で、全国でタクシー会社の倒産が相次いだ。要するに「コロナ禍」などの国家的災害の前に、タクシーなどの公共交通は吹っ飛んでしまうほど安く使われてきたのだ。今後もこうした良質なモビリティを維持したいのなら、それこそ都内タクシーの初乗りが¥1000位出して貰わないとドライバーも会社もやってられない。

 

そういう事情に目を付けた河野太郎や小泉進次郎らヘゲモニストによって足を挙げられ「安い公共運送を維持出来、コロナ禍のような事態になればクビにすれば問題なし。」という主張に国民がワル乗りさせられてしまったのだ。

 

河野太郎や小泉進次郎に問いたい・・・タクシーだけでなく、トラック・バス・鉄道の乗務員も大幅に足らないそうだが、なぜそうしたところにも「ライドシェア」で、一般の人を従事させようと主張ないのか?。持論がそうなら、そう言った事にも解釈できる。タクシーのみ狙い撃ちするなど卑怯千番としか言いようがない。

 

小泉進次郎の父親の小泉純一郎元首相は、「規制緩和」「既得権益打破」と美辞麗句を掲げてタクシー事業の自由化導入を強行した。その結果大阪のタクシー乗務員の一部には、給料を貰いながら生活保護を受けると言う事態が起きたことを皆さんはご存じだろうか?。「ライドシェア」導入は、そう言う事が全国で起きる可能性を秘めているという事だ。

 

いずれ失敗する。その時、時の政府が同言い訳するかが見物だ。