今日午後、大阪と札幌で相次いで出された同性婚をめぐる憲法判断訴訟。同性同士が事実婚状態でしか居られず、正式な婚姻を認められないのは、法の下の平等を定めた憲法の規定に違反するという行政訴訟。結果は、損害賠償こそ退けたもの大阪地裁(一審)札幌高裁(二審)共に「同性婚を認めないのは憲法違反」との判断を下した。
また両裁判所とも、付帯意見として「国会が、速やかに同性婚の是認に向けた法整備を行う様に。」と付け加えた。
中でも札幌高裁の判決は「『男』『女』という性別分けは時代錯誤も甚だしい。個人が自任する性に寄り添うべき。」との画期的な判断を示した。
確かにSDGSと呼ばれる多様性を認めようとする世界的潮流の中で、同性婚の差別的扱いは認められなくなるだろう。しかし、同性婚が増加する中で、心配されるのが「急速な少子化と子育て世帯・同性婚世帯との租税等を含む、公平な分担」である。
片や自分達の主張を通しぬいて、同性婚を勝ち取った一方で、これまで通り「男」「女」という性の価値観の下でパートナーとなり、子供が生まれて育てる状況となった時、双方に経済的負担の不公平が生まれる。特に少子化問題が、国家の存続すら揺るがそうとしている日本に於いて、果たして「社会の潮流だから」と、安易に「同性婚是認法改正」だけ進行しては、子育て世代から大きな反発が予想される。
学費や医療費の無償化が進んだとはいえ、実際に子育てを体験した経済的負担は、並大抵のものではない。片や、子育ての負担なく自分達の事だけ集中する同性婚カップルの主張だけ認めて、果たして社会的公正が保てるのだろうか。
確かに、性の多様性を認めざるを得ない社会的潮流は、もう止める事が出来ない。だが、それによって新たな格差が生まれるような事態を是認してはいけない。憲法違反か否か、あそこだけ注視するのでなく、社会全体の公正さが保たれるかを慎重に議論する必要がある。